他人の時間と自分の時間①

はじめまして、もしくはこんにちは。レイラです。久しぶりの投稿になります。過去の投稿も是非見ていってください〜


それでは本題に入ります。

みなさんはこどもの頃、周りの大人たち、具体的な例を挙げれば父母や学校の先生のことを「お父さん」「お母さん」「先生」という名前の「そういう人間」だと思ったことはありませんか?私はそう思っていたこどもでした。だから父母や先生にも赤ん坊だった頃があり小学生中学生の時を経て大人になっていったという考えにその当時は至りませんでした。

InstagramやAmebaブログでも拝見したことのあるエピソードなのでこどもはよく疑問にもつことなのだと私は思っていることがあります。「お母さんは大きくなったら何になりたい?」という質問です。一見お母さんは自分と同じようにこれからも「成長」していくのだと勘違いしているかわいいエピソードに見えるのですが、この質問は深く掘り下げれば大真面目に議論できる内容だと思います。


お母さんもこどもだった頃があったのです。大きくなったら何になりたいとか夢を抱いていました。けれど大人になって結婚して「妻」となり、こどもを産んで「母」となり今までの夢を忘れてしまったのかもしれません。もちろん、お嫁さんになることやお母さんになることを夢見ていた人もいるでしょう。問題はその次です。何かなりたいものはありますか。実行せずともなにかあればお母さんだって「成長」はせずとも成長はします。(ここでは身体的成長を「成長」と呼び、精神的成長を成長と呼ぶことにします)

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