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私が人生を共にすると決めたフットボールクラブについて 浦和レッズ編

はじめに


こんにちは!切り返して左足です!前回のハルシティ編に続いて今回は、人生の半分以上を共にしてきた浦和レッズというクラブについて語っていきたいと思います。まずは、浦和レッズとの出会いから…

Urawa Reds

浦和レッズとの出会い

2010年小学2年生の時、私がサッカーを始めるきっかけにもなる南アフリカワールドカップをテレビで見て、父親と一緒に埼玉スタジアムで試合を見たことが浦和レッズとの最初の出会いでした。

初めて見た試合は07/24(土)に行われた第14節浦和レッズvsサンフレッチェ広島。当時のことはよく覚えています。8年間の人生の中で大きな建物を東京タワーしか知らない私にとって6万人以上を収容するサッカー専用スタジアムは外から見ても今まで感じたことのないくらいの迫力がありました。

何もかも初めての感覚。試合に出るわけでもないのにとても緊張していたと思います。北ゴール裏からスタジアム内に入った時の感覚はとてつもないものがありました。なんというか真っ赤なスタンドとスタジアムの大きさに圧倒されて倒れてしまいそうなくらいのあの感覚です。とにかく圧倒されていました。

そしてバックスタンド真ん中のいい席で試合を見ることができます。ただ自由席の抽選があることを知らないわけなのでその席を取れたことは奇跡に近いわけです。北ゴール裏から入場したことバックスタンドの絶好のポジションの席が空いていたことは私が浦和レッズの虜になることが決まっていたかのようでした。運命だったのかもしれません。

試合は後に浦和レッズに加入する槙野選手に決勝ゴールを挙げられ敗北してしまいますが、「また見に行きたい!」ともうその時には浦和レッズの魅力に取り憑かれていました。とにかく応援の力強さ。浦和レッズのゴール裏を見に行くだけでもお金を払えるんじゃないかと思うくらい、凄さがありました。浦和レッズの応援は世界一であると自信を持って人々に伝えることができます。

初めて好きになった選手

浦和レッズを自分と人生を共にすると決めて好きになった選手が初めてできました。その選手は、原口元気選手です。

原口選手に心を奪われたのは2011年の第14節アウェイNACK 5スタジアムで行われたさいたまダービーでの試合です。1-2で迎えた後半78分に宇賀神選手のパスを受けた原口選手が倒れながら左足で放ったシュートが決まり土壇場で追いつきました。このシーンを見て思わず立ち上がってしまったのを覚えています。倒れながらも泥臭くプレーする姿に心を打たれました。

原口選手の影響もあり、自分のサッカー人生の大半を背番号24をつけてプレーしていました。それほどリスペクトしていたし好きな選手でした。原口選手のさらなる活躍を期待しています!

世界に誇れるクラブ

私は浦和レッズは世界に誇れるクラブだと思います。それは応援の規模やサポーターの熱さも含めてですが一番はアジアのタイトルを多くとっているという点です。2017年、2022年のACLタイトルを手にした瞬間を見てきましたが、本当に素晴らしい光景でした。サポーターの作る雰囲気、ビジュアルサポート、選手たちのハードワークなどとても良い瞬間でした。

日本のクラブで最多の優勝回数を誇る浦和レッズはクラブW杯に挑戦します。過去最高成績の3位を超えることを期待しています!

最後に

今回は浦和レッズを応援するきっかけなどについて語ってきましたが、自分自身改めて浦和レッズというクラブが好きだということを再確認できた気がします。これからも人生を懸けてサポートしていきたいと思います。

そして、長くなりましたが今回で「私が人生を共にすると決めたフットボールクラブについて」のシリーズは一旦終了となります!今後は、またフットボールについて語っていければと思います。

それではこの辺で… We Are Reds!!!!♦️


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