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海外ドラマが見たい

 日本が製作した映画が海外の映画賞を賑わすようになって久しい。
 しかも、海外の人が日本に対して持つステレオタイプを象徴するような武士やヤクザが登場しない映画が多く取り上げられるようになったのは嬉しい。
 海外映画賞で受賞した日本映画の予算が必ずしも莫大ではないことを鑑みれば、映画製作にはお金が掛かる、お金を掛けなければ売れないという思い込みは不要ということだろう。それと同時に、映画のテーマは日本人が見た人間や社会という切り口のもので何ら恥じる必要はなく、堂々と本質に迫る映画を作って良いのだと教えられる気がする。
 海外から見れば日本という国や日本人というのは、未だミステリアスであることに違いなく、どんなテーマであっても興味深いものになるのではないだろうか。ただし、受けを狙おうとするとウケないことは間違いない。


 最近では、動画配信サービスで様々な海外のテレビドラマを見ることが出来る。ところが、世界中のドラマが見られるかというとそんなことではない。配信されているドラマの多くは韓国やアメリカのドラマだからだ。
 韓国ドラマはブームから始まったものだが、現在ではかなり定着した感がある。隣国でありながら違った風土に生きる人々を描くドラマは、近くも遠くも感じる面がある。

 心配なのは、韓国を除くとほぼほぼアメリカのドラマしか見られないということだ。これは映画についても似たような状況だが、映画に比べてもドラマはアメリカに偏り過ぎているように見える。
 映画とドラマの違いは種々あれど、誤解を恐れずに言えば、仮に映画が空想世界を描くものであるとしたら、ドラマは現実世界を描くものだ。
 ドラマの方がより現実社会に近いところにあると言った方が良いだろうか。
 つまり、映画に比べてドラマの場合はその社会の暗黙のルールや背景が色濃く反映されていて、人情の機微などはその背景を共有していないと理解しにくいものだ。

 逆に言えば、ドラマの方が現地の人々の生活をリアルに体感出来るとも言える。日常の生活がどんな場所でどういう風に行われているのか、どういう価値観で何にトキメクのかといったことは、映画よりもドラマが長けていると思う。
 だから、ドラマの大半がアメリカのものであったとするなら、私たちは知らず知らずのうちにアメリカ人に親しみを感じたり、考え方に同調し易くなってはいないか注意する必要があるということだ。
 アメリカそのものの良し悪しを言っているのではない。容姿は同じようなガイジンに見えても、アメリカ以外の国々はアメリカとはまた違った価値観で生きていることを忘れてはいけないということだ。

 世界には様々な人々がそれぞれ違った環境下で生活していて、みなそれぞれの考え方や価値観を持っている。
 そういった違いを知ることが、相互理解の第一歩になるはずだ。お互いに認め合うことの先にしか世界平和は無いのであって、一方的な価値観の押し付けは争いごとの火種にしかならない。
 相手の考え方を知って一旦はそれは受け入れることでお互いの違いを知りながら、共通点や妥協できる点を挙げることで共存出来る道を探る。受け入れるというのは何も言いなりになったり従うということではない。相手の考え方を理解することと、同意することは違う。しかし同意するかどうかを決めるには、まずはどうしてそういう考え方なのかということの理解が必要ということだ。

 翻訳や吹き替えの手間を考えると簡単ではないことだとは思うが、世界の人々の生活を身近に感じて、そして理解を深めるためにも、いろいろな国のドラマが見られると嬉しいなと思っている。
 でも、そんなにドラマが増えたら寝る時間が無くなりそうだ。

おわり
 

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