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映画『15時17分、パリ行き』

 どんな人でも社会のために役立つ時が来る。
 どうやってその時がやって来るのか、それは誰にも分からない。
 恐らく多くの人は一生分からないままに生きるのだろう。
 そうだとしても、生きていることで誰かの何かの役に立っている。

 社会が細分化され、分断されて、生きづらさを感じることに遭遇することも多いだろう。世界がグローバル化する中で、自分の行いが影響する範囲を見渡すことはより一層難しくなった。
 あなたが今日スーパーで買った商品を誰が作ったのか、あなたはきっと知らないだろう。その商品を誰が箱詰めし、誰が店まで運んで来てくれたのか知らないだろう。
 街に出るために乗ったバスや電車の運転手を知らないし、スマホを充電するために使用した電気を作った人の顔を知らない。
 シャワーを浴びるために使った水を作った人を知らない。

 私達の生活の背景には、数え切れないほどの人が関わっており、その人達全てに家族がいる。誰が、どう社会を作っているのか、どう関わり合っているのか。そういったことの全体像を見渡せる場所はどこにもない。だから分かりにくいだけだ。
 そして、あなたもその全体の一員として誰かの生活を少しだけ支えている。

***
 
 たまたま列車に乗り合わせた人々は、皆それぞれの背景を持ち、様々な人生を歩む中で、ちょうどその時にその列車に乗っているだけだ。
 彼らも、そうだった。
 前の晩に呑み騒いで二日酔いが残る中でパリ行きをどうするか悩んだ挙げ句、重い腰を上げて乗り込んだのが、15時17分発の列車だった。
 小学生の頃に出会った彼ら三人は、大人になった今ではそれぞれの場所でそれぞれの道を歩んでいる。夏休みを合わせヨーロッパで落ち合って旅をしている。
 何をすれば良いのか迷いながら生きているどこにでもいる若者だが、小さな頃から社会性に馴染めず、普通の人とはどこかズレてしまう個性の持ち主たちだった。そのせいでしばしば親は学校に呼び出される。要するに問題児だった。

***

 監督はクリント・イーストウッド。
 2018年の作品。
 この映画は、批評家の評価が著しく低かったという。
 確かに映画としてはいろいろと中途半端なのかもしれない。表現として上手ではないし、描き方の工夫が足りなかった点もあるだろう。主役の三人を本人が演じていることも奇策とされた。
 しかし、個人的には良い映画だと思った。少なくとも心を動かされた。
 映画作品としてではなく、起こった事実そのもののに感動したと言ってもよい。これがフィクションだったら私も駄作と思ったかもしれない。

 実話に基づいたこの物語は、誰にでも生きる意味があることを思い出させてくれる。
 もちろん、実際の私達の人生は映画のようにはいかない。
 そんな劇的なことは起きない。
 しかしそれでもいい。
 重要なのは劇的かどうかではなく、社会の中でのあなたの価値に気づくことだ。
 実らない努力も挫折もある。
 でもそれを失敗と決めつけるのは早すぎる。
 何なら、生きているだけで成功なのだから。

おわり


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