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生存戦略と遺伝子のゆくえを夢想する

 私たちの遺伝子が生き伸びるのに必要な行動を取るのは子孫を残すためだ。そう言われることが多い。しかし、これは主客転倒していて、子孫を残す事が出来たのは結果であって目的ではない。偶然にも子孫を残すような行動をした者の遺伝子だけが残った。

 環境に適した遺伝子を兼ね備えたものだけが生き延びて多くの子孫を残し現在に至る。最近の私たちはともすると、この遺伝子生存戦略とも言えるようなことを個人的な遺伝子の話として考えがちだ。
 しかし本当は、個人という狭い範囲の話ではなく、ひとつの生物しゅという大きな単位で考えた方が良い。人類がこの地球上で生き延び反映してきたのは、人類総体としての遺伝子群が全体として自然に適合していたから。それは数の多さにも関連する。様々なバリエーションがあるほど複雑な条件に対応しうる遺伝子を持つ確率は上がる。
 人類が地球上を席巻するようになったのは、人類全体の遺伝子の、環境適合許容範囲の広さが環境パラメータの数を十分に上回ったからだろう。
 もっとも、技術の発達によって快適な住環境が得られる地域が広がったため、遺伝子群の持つ環境適応能力は低下している恐れがある。
 例えば冷暖房なしには生きられない人が増えたとしたら環境適応能力はそれだけ低下していると言える。冷暖房技術やエネルギー消費とセットでなければ私たちは生きられなくなっている。

 とは言え人類は地球上のどこにでも住める訳ではなく、島を含めた陸の上のうち、ある範囲の気温や雨量の場所でしか生きられない。現代では様々な技術によって住める環境範囲は広がったとは言え、地球全体の面積からすれば少なく、多めに見ても15%程だろう。
 近年の急激な人口増加を受けて、人ひとり当りが使える陸地面積は急激に減っていると言われる。それも単純に住める面積を人口で割っただけの話だから、ひとり当りの陸地面積の中には野生の動植物も共存しなければならない。
 つまりここに来て私たちは、他の生物を押しやってでも自分たちの住む場所を確保する必要に迫られているということだ。もちろん人間同士でも安穏としている訳にはいかず、生き延びるにはこれまで受け継がれてきた遺伝子が持つ生存戦略以外の何かが必要になる可能性がある。

 都会では生活の場で野生動物を見なくなって久しい。だからごく稀に野生のサルが出現しただけで大騒ぎになる。私たちは既に野生を削ることで快適な生活を維持している。その皺寄せがあるとは思ってもいない。
 ところが、人ひとりが侵食出来る陸地領域は既に1ヘクタールを切っているとも言われる。100メートル四方も無いということだ。その面積で食べるものを育てあらゆるインフラや店舗を建設し、自分の住む場所を確保する必要があるということだ。
 つまり、環境問題を持ち出すまでもなく、私たちの終わりは目の届く範囲になっているということでもある。

 この先、どんな遺伝子を持った生物が生き延びられるのか。
 それが分かるのは何万年、あるいは何億年も先のことかも知れない。
 未来の世界では昆虫文明が発達し、昔は人間という生き物が世界を蹂躙していたけれど滅んだらしいね、と歴史の授業で語られるようになっていてもおかしくない。博物館にはきっと、人間の化石が展示されているのだろう。

おわり
 

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