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鬱陶しい雨

 都会にいると鬱陶しい雨も、森を歩くと寧ろ楽しいものだ。樹々の葉に打ち付ける雨音が森を包み込み、時折野鳥の地鳴きが聞こえる。森で降る雨音は静寂の音なり。

 森を歩く時は傘はささず、軽登山靴に雨合羽を着て手ぶらが良い。背負うバッグにはレインカバーを掛けておく。
 森では雨が急に溜まることはない。草木の間を順に落ちて行って少しずつ土を濡らす。泥濘んて歩き辛い場所があったとしたら、それは人間が荒らした痕跡だ。森には土が剥き出しになっている箇所は無い。土は虫や動植物が繁殖するのに適した場所だから誰も放っておかない。
 雨が染み込んだ地面からは、有機物の豊かな香りがする。堆積した落ち葉は微生物によって熟成が進み、生き物が土に還って行く。落ち葉だけではなく、虫や鳥や動物のの死骸も無駄なく分解されて生きているものたちに再利用される。

 倒木は緩やかに腐ちて、キノコや苔を育む。苔は水を蓄えて、やがてそこには木の芽が生える。
 木の子は数十年という長い年月を掛けて樹になる。樹が成長する頃、最初足元にあった倒木は消えている。
 樹の下には草が広がる。獣に踏まれることで成長する草もある。草のベッドの上でも木の子は育つ。

 本州にある平地の森は主として常緑照葉樹からなり、その木々は低木から高木まで、高さのグラデーションを為して森を彩る。気候的にはそれが本来の姿だ。ところがこうした豊かな森は現在ではあまり見られない。なぜなら、そこには私たち人間が便利な都市を造成して生息しているからだ。僅かに残されていた丘陵の森も、本来は生息しない筈の常緑針葉樹で埋め尽くされていることが多い。

 水源から河口までの距離が短く比較的急流の多い日本の川は、雨が降ると溢れやすいと思われている。でもそれは元々日本の自然が持つ特徴というよりも、都市化に依る影響が大きい。
 上流で水を蓄える筈の森は植林地へと変わり、中流では宅地や畑へ変わり、下流では水を利用するはずの水田が他の用途に転用されてきた。
 河岸がコンクリートで固められる事で流速が増し、下流では河床への堆積物が増えた。恵み豊かな川は今や都市の災いの種と忌み嫌われている。
 挙げ句に川は地底に埋められて配管の中を流れるもの、すなわち都市の排泄物になった。

 便利さと引き換えに私たちが手放したものは、人知によって創る事が出来るものではない。多様性に富んだ生命体が織りなす複雑で豊かなからくりは、何十年何百年という長いタイムスケールの中で構築される。
 そうした自然が生み出すもののごく一部を享受することで人は生きてきた。そうすることでバランスが保たれていた。
 自然が自然に生産できる能力を遥かに上回る糧を絞り出しながら、同時にバランスを取る術を人類は未だ見出していない。

 雨の予報を聞いて憂鬱になる時、私たちはきっと、あの森の豊かな薫りを思い出さねばならないのだろう。
 そう言えば久しく森を歩いていない。

おわり


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