見出し画像

学力低下していく日本

 日本のように資源を持たず戦後の日本を支えた工業力の多くを手放してしまった今となっては、頭脳労働を主とした労働力が必要だ。

 読み書きそろばんと言われたように、識字率が高くてほとんどの人が四則演算を理解しているという意味で基礎的な学力が高い国というのが日本の強みだった。
 それが今、世界的に見ると先進国の中では日本の学力は地に落ちているらしい。

 ここで言われている学力低下とは、読み書きや計算のことではない。大学進学率と大学院進学率のことだ(以下のデータの出典はこちら)。
 日本の大学進学率は直近で55%ほどであるが、2019年のOECDの調査ではOECD加盟国38カ国中で30番目という低さだという。1位はギリシャの67.6%、以下、ベルギー、ポーランド、スロベニア、オーストラリア、リトアニア、アイルランド、韓国、ラトビア、フランスと続く。
 また、同じくOECDの調査で、大学院の進学率を見ると、フランスの38.6%を筆頭に、ポーランド、ノルウェー、、ベルギー、ポルトガルと続き、日本は29位だ。

 さらに深刻なのは、日本の大学生・大学院生の基礎的学力低下だという。
 専攻する専門分野の知識は高くとも、基礎学力は必ずしも高くないようだ。大学で行われる研究そのものが分野的に細分化され過ぎているという面もあるだろうが、どうやらそれだけではないようだ。
 中には読み書きや簡単な計算も出来ないケースがあるという。スマホやPCで調べたり計算すればすぐに答えがえられることの弊害なのかもしれないと思った。

 国民全員を対象に考えれば、必要最低限の基礎学力が身に付いていれば良く、みんなが大学に行く必要は無いと思うが、大学生にしても基礎学力が無いとしたら大学に行かない学生の学力はどうなっているのか。想像もしたくない。
 
 大学の社会的位置づけが日本と海外では違っているということも押さえておく必要があるだろう。
 大学生全員がそうだとは言わないが、日本の場合、大学生は勉学に励むというよりも、それまでの受験勉強から開放されて、就職までの余暇として学生時代でしか経験出来ない多くのことに取り組む時期と考えられている気がする。あるいは、就職のために必要なカードとして大卒という資格を得ることが目的の人もいるだろう。
 もちろん、大学時代に育まれる友情や、大学時代に体験したことは重要な経験であり人生の資産になることは疑わないが、それだけで満足していて良いのだろうか。
 少なくとも海外の大学生と比べると、日本の大学生の学問や研究に対する姿勢のレベルが低すぎる感がある。

 日本の大学は、就職のためのスキルを身につけるためという位置づけでは無いため、学生の取り組み方がある種の刹那的に寄ってしまうのは仕方がないのかもしれない。
 そうだとすれば問題なのは学生のあり方だけではなく、社会の中での大学や大学院のあり方の方かも知れない。
 教育機関でありながら研究機関でもあるというのはもちろんだが、人が生きる術を学ぶ場や学問を通じた人間形成を行う場であっても良いはずだ。

 平均時給や年収が海外に比べてかなり低下して来ているところに追い打ちを掛けるように円安が進み、国際的に見ればますます私達の収入は目減りしている。
 このままでは、先進国に名を連ねるのが恥ずかしい国に成り下がってしまいそうだ。
 生きることの意味を深く考えることや、人生を楽しむ姿勢、命の尊さを噛みしめること、他人がいなければ成り立たない自分の生活、お互い様という心意気や感謝の気持ちを通じて生きる活力を再びみなぎらせるために、わたしたちひとりひとりがやるべきことをもう一度見直す時期が来ているのかもしれない。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?