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日常の破壊

ここ数日、Netflixで配信されている『サバイバー: 宿命の大統領』(原題Designated Survivor)を見ている。


もしあなたが突然アメリカ大統領になったらという設定の、ある種のディザスタードラマだ。
突然大統領になるなんてありえない設定だと思うかもしれないが、実際にアメリカでは緊急事態対策計画として実施されている指定生存者制度を取り上げたものだ。

指定生存者に選ばれた主人公が、新たな大統領就任式のその時、式典が行われている国会議事堂とは別の場所で安全に隔離される。
主人公はジーンズにパーカーというラフな私服で妻と雑談をしながらポップコーンを摘み、のんびりとくつろいでテレビ画面に映る就任式の様子に時折目をやる。
自宅にいる幼い娘から掛かってきた電話に出来ない約束をして妻にいさめられたりしている。

指定生存者の隔離は単なる儀式的なものだから、むしろ妻と二人だけの団欒の時を楽しんでいる様子だ。
そんな折、突如爆音がして、窓から音の方向を見ると国会議事堂が爆発し火炎が立ち昇るのを目撃することになる。

爆発によって国会議事堂は崩落し、式典出席者の絶望が伝えられる中、主人公はセキュリティサービスのボディーガードに守られてホワイトハウスに移送され、急遽宣誓させられて大統領に就任することになる。

2016年にアメリカABCテレビで放送されたシリーズドラマだ。
初見の私はハラハラドキドキしながらひとつのエピソードをこなす度に右下に表示される次のエピソードというボタンをなかなかキャンセル出来ずにいる。
次々と襲うトラブルや政争に主人公が翻弄される様子に先が気になって仕方がない。
主人公の生活は昨日までとは激変し、大統領として何をすれば良いのか呆然とする中で決断を迫られ、危機に晒され、各国との交渉の最前線に立たされ、こんな時なのに巻き起こる家族の問題にも対処しなければならない。

そんな主人公を演じるのはドラマ『24 Twenty Four』でジャック・バウワーとして活躍した、キーファー・サザーランドだ。サバイバーを見ていながらジャック・バウワーが突然大統領になったかのように錯覚してしまうのは仕方がない。絶え間なくトラブルに見舞われて判断に戸惑う瞬間の絶妙な演技にジャック・バウワーを思い出す。

考えてみればドラマや映画は日常の破壊の上に成り立っている。それはこのサバイバーや日本沈没のような災害ドラマはもちろん、恋愛をテーマとしたものもそうだ。
ドラマの中の恋愛は、日常の中にひっそり佇むようなものではなく、破壊力をもって日常を侵蝕する。正しくそこにドラマが発生する。

現実のアメリカ大統領も目が回るほど次々と起こる事案に対処しなければならないのは恐らくドラマと一緒だと思うが、現実の生活においては、人間は慣れるという能力を発揮してしまう。そして慣れの先には飽きが来る。
ドラマの主人公は決して慣れたり飽きたりしない。トラブルが起きるとジタバタする。戸惑う。判断に迷い判断を間違え、さらなるトラブルが起きる。
現実の生活でもドラマ同様にトラブルが生じるが、私達はだんだん慣れるので、余程のことがない限り刺激が続かない。
刺激的で魅力的な生活は普通の人にとってはドラマの中にしかないのだ。
現実はどちらかと言えば平凡で同じことの繰り返しで、飽き飽きするものだ。

でも、それでいいのだと思う。
それが、、、いいのだと思う。
現実が平々凡々だからこそ私達はドラマや映画の中の世界に浸れる。ドラマの世界と現実世界の間には一定のギャップが必須だ。
もし現実の方が刺激的だとしたら、ドラマなんてとってもつまらないものになるだろう。誰も映画館に足を運ばなくなるだろう。
スクリーンの中だけで成立する異次元の時間に見を委ねることこそが映画の醍醐味であって、戻る現実があるからこそ浮かび上がるイリュージョンなのだ。

それにしても『サバイバー: 宿命の大統領』は私が久々にのめり込んでいるドラマだ。個人的には邦題よりも原題のDesignated Survivorの方がしっくり来ると思っているが、「デズィグネイテッド サバイバー」とカタカナ表記したのではきっと何のことか分からないので、まぁ仕方ないだろう。

で、最近の私がドラマをあまり見ていなかったのは、私の現実が魅力的過ぎるからではなくて、ただ単にドラマを見るのに飽きていたからだったのだけどね。

おわり

(この記事は案件とかではありません。念の為)


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