Amazonのおすすめは役立たない
思い返せば、社会人になりたての頃、会社帰りの寄り道が何よりの楽しみだった。 家路につく前の独りのひと時を、自分の好きなものに囲まれながら散策するのが、この上なく心地よい時間だった。
会社から駅に向かう途中にあったガード下のCDショップの棚を巡り、手に取ってジャケットを眺めながらこのCDにはどんな素晴らしい曲が納められているのかと思いを巡らせながら。時には試聴用のヘッドフォンを耳にする。耳を刺激する新たな音楽に思わずリズムを踏んだり、想像との違いにガッカリしたり。
家に帰って封を切り、新品の香りと手触りを味わいながらCDデッキに置き、再生ボタンを押した時にスピーカーから出る初めての音に心をときめかせたり。
あるいは書店をぶらついて、ときどき平積みの文庫本を手に取りパラパラとめくる。気になった箇所でふと手を止め、パラグラフに目を落とす。数行読んだら再びパラパラめくる。
文庫本を置くと、振り返った棚にあった目を引く装丁の単行本をつかみ、帯を斜め読みする。そしてこれもパラパラと頁をめくる。そこに綴られた物語がどれほどワクワクさせてくれるか想像しながら。
本を手にした時に伝わってくる得も言われぬ感情が、時にこれを買ってくれと訴えかけてくる。
書店内の他の人々はどんな思いで何を探しているのか、お互いに距離をとりながらそれぞれの時間を愉しんでいた。
・・・・・・
書籍や音楽をAmazonに依存するようになって久しい。
お気に入りの作家の本をカートに入れれば、こちらもいかがとおすすめされる書物の数々。同じ作家のまだ買ったことのない本や、似たテイストの物語を納めた本が陳列されてクリックされるのを待っている。
レビューの星を気にしながらカートに入れるべきか行ったり来たり。
確かに、持っている本をまた買ってしまった、というようなことはなくなった。
専用の音楽プレーヤーを開けば、あなたが好きな曲はこれでしょうとばかりに並べられたサムネイル写真が微笑み掛けてくる。好みの曲がちりばめられたおすすめプレイリストを流せば、聞き心地のよい音楽がイヤホンから流れ込む。
確かに、外れのCDに大枚叩いて後悔することはなくなった。
でも。
あの頃の、本や音楽に対峙したときのときめきはAmazonには、無い。
ざわざわした店内を徘徊する楽しみは、無い。
レジで掛けてもらった紙のブックカバーをめくった瞬間に物語に吸い込まれるような、洋楽輸入CDのパッケージの開けずらいフィルムをやっとのことでめくった時のような安堵は、どこにもない。
便利になることは馬鹿になることだと言った人がいる。
ひとつ便利になることで、人は楽を出来るようになって、馬鹿になると。
手に入れるまでの工程がショートカットされた現代には、近道が出来たことの喜びは大してなく、時間を掛けて失敗を重ねた末に巡り合ったあの頃のあの音から得られる喜びは絶大だった。
ノスタルジーかもしれない。
本当は黴臭いだけの垢のような、しかし、美化されただけの記憶かもしれない。
でも間違いなく言えることがある。
あの時のときめきを再び味わいたいと思っても、Amazonのおすすめは役立たない。
おわり
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