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トップガンを観た

 マーヴェリックの方ではなく、旧作の方をAmazon Prime Videoで観た。字幕版だ。

 昔の音楽を聴いて当時を想い出すように、映画を観て蘇る青春時代がある。
 「トップガン」を観ると、まだ高校生だった1986年の冬を想い出す。
 1週間遅れで公開された「ハスラー2」の主演もトム・クルーズ。彼に惚れ込んだ友人と一緒にその翌週には名画座でトム・クルーズが出演した旧作品を観た。
 友人はトム・クルーズをしきりに格好良いと言い熱を上げていて、世間の女性たちも熱狂していた。それはともかくも、トム・クルーズが一躍大スターの一員になった瞬間だった。
 映像作品がデジタル化した現在では撮影や映像編集は素人でも出来るようになるほど手軽になってしまったが、まだ映画がフィルム撮影だったあの頃、映画界は今よりもっと遠い手の届かない存在だった。だからムービースターは今よりずっと輝いて見えた気がする。

 今観てあらためて思うが「トップガン」は戦争映画ではないし、軍隊の映画でもない。舞台は海軍で登場するのは戦闘機乗りだが、描いているのはそこにいる人々の青春群像。主人公と教官のラブストーリーと見れば安易だし、それなりに大変な撮影だったはずの戦闘シーンだって今見れば安物っぽく感じなくもない。汗臭さや泥臭さは微塵もなく、陰湿ないじめも無い。間違いなく現実離れした物語である。
 それでも、まだスター以前の俳優だったトム・クルーズの初々しい演技は物語に合っているし、単純なストーリーが故の清々しさがある。あらためて観ると結構いい演技しているようにも感じる。何よりもあのキラキラした目は彼ならではであり、眼の前でまっすぐに見つめられたらきっと言葉を失うだろう。

 男も女も観たくなるような題材とストーリーは商業的に過ぎるかもしれないけれど、ある種の青春映画ブームだった当時、戦闘機の爆音と象徴的なサウンドトラックは斬新で若者たちの心を揺さぶったものだった。予定調和なハッピーエンドかと言えば、父親の影や相棒の死という得も言われぬ哀愁もあって、戦場での活躍よりも教官になることを選ぶという最後が、物語の続きの伏線になっているとは、当時は思いもしなかった。

 「トップガン」が青春の1ページとなっている私にとって、新作の「トップガン マーヴェリック」は恐らく比較対象にもならないだろう。あの時のような初々しい感情は今の私の中にはもう無いからだ。世間に揉まれて擦れてしまった今の私は、純な心でマーヴェリックの眼差しを受けることは出来ないはずだ。
 それでも観ずにはいられないと、心の奥底であの当時の私が囁きかけてくる。

 ところで、とっくに興味を失っているにも関わらず、時折サイエントロジーから手紙が届くのが今や鬱陶しい。さすがに中を見る気にはならず、いつも封も切らずに捨てている。

おわり

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