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危険はここにある

 最近、工事現場や工場での死亡事故を多く聞く気がする。何がが落ちたり、酸欠になったり、機械に巻き込まれたり。
 どの事故も、聞いたこともないような原因で起きたものではなく、言ってみればこれまでも良く起きていて散々注意喚起されている類の事故に思える。普通通りに注意を払えば防げるような事故だ。
 そうした事故が繰り返されるのには、何か防ぎようのない原因があるものなのだろうか。

 ちょっとした気の緩みという言葉が使われ、声出し指差し確認やダブルチェックが再発防止策の王道のようになっているが、どんなに確認を強化しても起きる時は起きる。なぜならいつかは注意力が低下したりうっかりしてしまう瞬間が訪れるからだ。どんなに緊張感を持っていても、ふと魔が差す時がある。それが無い方が不思議なくらいだ。
 しかし、複数の人が同じ緊張感で注意を払っていたとしたら防げる事故は増えるはずだ。十分な休養が取れていれば防げる可能性は増えるはずだ。少なくとも確率的には。

 昔、工場や現場で人が亡くなるのが当たり前だった時代、死亡事故ゼロ◯日という垂れ幕が掲げられていた。それだけ事故は身近で、死ぬ事は常に視野に入っていた。同僚を亡くした経験のある作業者も多かった。とにかく命だけは守れ、というのが現場の第一目標だった。
 その後、各取り組みは功を奏して死亡事故は減った。怪我をするようなことも減った。現場の安全管理は徹底され、昔に比べると危険な現場は劇的に少なくなった。

 そうなると皮肉にも危機意識は遠のく。現場が危険なものだと肌に染み付いている先輩社員は既に引退していない。同僚が痛い思いをしたなんてことがあると、あいつはおっちょこちょいだと笑い話になりこそすれ、明日は我が身ということにはなりにくい。安全になったことによって、危険は他人事になってしまった。少なくとも、実感を持ってとらえることが難しいものになった。
 でも危険はなくなった訳では無い。
 高所から落ちれば、物の下敷きになれば、そして機械に飲まれれば、死ぬ。爆発が起きれば死ぬし、酸素が無くなれば死ぬ。感電すれば死ぬ。しかもそうした事はちょっとしたことが原因でいとも簡単に起きる。見えていないだけで、現場はいつも死と背中合わせなのだ。

 自分だけは大丈夫。今までそんな事は起きたことがない。ここでも、そうした正常性バイアスが発動している。人間の性質と言えばそれまでだが、このようなバイアスを防げなければ事故は無くならない。そして、安全になるほどにこのバイアスは強化される。

 同じような事が日常でもあるのではないだろうか。
 やめようと思っているのにやめられない。いけないと思っているのにやってしまう。早く寝ようと思っていたのに夜ふかし。
 そんな時あなたは、これくらいならきっと大丈夫だよという囁きを聞いたのではないだろうか。やっぱりやめておこうよという呟きが聞こえる中で、それを無視して囁きの方に耳を傾けたのではないか。
 それが人間というものと言ってしまえばその通りだが、そのバイアスの克服こそ、事故を防ぐ決め手なのだ。
 もしこれが大袈裟に聞こえたとしたら、あなたの背後に死神が来る隙を与えているのだということを思い出してみよう。

おわり

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