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仮想通貨とは何か ~ FTX破綻を期に、仮想通貨について改めて考えてみた

 先日、世界的な仮想通貨交換業者であったFTX社の破綻が報じられた。世界仮想通貨取引の1割を担っていたと言われる交換業者破綻のニュースによって仮想通貨相場には激震が走った。
 仮想通貨業者の破綻はこれまでも度々起こってきたが、今回は負債額の見込みが数兆円規模と言われており、社会経済的な影響も大きいと思われる。
 元々得体が知れず怪しいものと思われてきた仮想通貨がいよいよ危ないものと思われるきっかけになれば、残る9割の取引を担ってきた業者についても存続の危機が訪れてもおかしくない。
 FTX社の破綻は仮想通貨が悪かったのではなく、同社の経営手法が間違っていただけではあるが、錬金術まがいのことをやっていたことは事実であり、仮想通貨やトークンが錬金術に利用されやすいものとなれば、規制が厳しくなるのは免れない。それが仮想通貨の発展に寄与するのか、撲滅の方向に進むのか目が離せない状況になってきた。
 そこで、今回は仮想通貨とは何か改めて考えてみた。

お金について

 仮想通貨について考える前に、まず通貨すなわちお金とは何かを考えてみた。

 田内学氏の『お金のむこうに人がいる』(ダイヤモンド社)によれば、お金はコミュニティ外の人に働いてもらうためのツールだ。
 外の人に対して労働を提供した証としてお金を貰い、労働してもらった時には払う。

 なぜ労働を提供し合うのにお金を使うかと言えば、私の解釈ではそれは次のような理由だ。

(1)労働力価値を数値で示すため。

 労働力価値とは、その労働がどれくらいの市場価値(みんなが思っている労働力の程度)に値するのかを数値で表したもの。お金が無ければ労働Aと労働Bの価値がどういう関係になるか、全ての労働の労働力価値を1対1で決めておく必要がある。例えば、皿洗いと外壁のペンキ塗りという2つの労働があったとき、その2つの時間当たりの労働力価値はどういう関係にあるだろうか。僕があなたの家で1日掃除をするから、君は僕のうちの外壁塗りを1日やってくれるかいと言われたらどうだろうか。知っている人同士なら何となくそれで話が付きそうだが、どちらかに不満が残りそうだ。ペンキ塗りの仕上がりによっても変わるだろう。

(2)労働力価値を自在に決められるから。

 労働力価値はいつも一定という訳ではないが、お金を使うことでその取引の場での価値を決める事ができる(お金が持つ交渉力)。労働力価値を単に数値で示すだけではなく、市場価値に厳密に縛られずに、その場その場で決められる。

(3)目に見える距離での労働対価だけではなく、物理的・時間的に遠いところの労働に対してもやり取りが出来るから。

 お店で物を買う場合でも、店の庭に勝手に生えた野菜が商品であれば、摘み取った労働対価(支払うお金)が労働力価値(掛かった費用)と等しくなるが、お店に並ぶ商品がどこかで作られたものを仕入れたものであれば、商品として店頭に並べられるまでの労働力価値が値札に表示される価格(労働対価)となる。この場合の労働力価値は、過去から現在に掛けての見知らぬ場所の見知らぬ人々の労働力価値が積み上げられている。

お金と国と税金と

 国は国民に納税義務を課すことで、国というサービスを提供しているとも言えるし、納税を通じて皆が暮らす社会を創るための運営組織として国があるとも言える。
 役人を税金で食わしてやっていると言うのは、形式上は正しいが意味合いとしては違う。私達が払った税金の一部が役人の給与になっているという点に違いは無いが、それはお店で物を買う際に支払った金額の一部が店員の給与になっているのと何ら代わりがない。
 国の労働を行う人を役人と呼び、その労働の対価の支払いに税金が使われているというだけだ。役人の労働対価に使われもするが、税金の多くは国が発注する事業費として民間企業などに支払われる。つまり税は私達に還元されている(様々な不正や無駄遣い、怠慢や偏りなどの問題は別の話だ)。

 納税がその国の通貨によって行われるのは、お金が上記のような機能を持っているからだが、通貨の信頼性を担保しているのは国や中央銀行だ。信頼性とは例えばその国の中ならどこでも使えるとか、その国の中なら北海道でも九州でも東京でも1円は同じ1円の価値であるとか、今日の1円と明日1円はその国の中なら同じ価値であるといったことだ。

通貨と仮想通貨との違い

 さて、前置きが長くなったが仮想通貨とは何だろうか。これは通貨と言えるだろうか。上の段落で書いたような通貨の持つ信頼性が担保されているか考えてみると分かり易い。
 仮想通貨はどこでも使えるだろうか。仮想通貨はどこでも同じ1通貨単位としての価値が保持されているだろうか。今日の1仮想通貨は明日の1仮想通貨と同じ価値を有していると言えるだろうか。
 これを考える時に重要なのが、その通貨が普及している範囲を限定することだ。
 例えば日本円は日本でしか通貨として使えないし機能しない。
 仮想通貨は国という物理的・政治的なバウンダリーに縛られないと言われるから、世界の通貨ということになるはずだ。その観点で改めて考えてみる。

 仮想通貨は世界中のどの店でもつかえるだろうか。仮想通貨は世界中どこでも同じ1通貨単位としての価値が保持されているだろうか。今日の1仮想通貨は明日の1仮想通貨と同じ価値を有していると言えるだろうか。
 1つ目の世界中どこでも使えるかという点からして成立していない。
 つまり、仮想通貨は通貨ではない。
 ふたつ目と3つ目はそうだとも違うとも言える。というのは、1仮想通貨の価値は、ドルや円といった他の通貨と紐付けないと決まらないからだ。しかし1仮想通貨は世界中どこでも、そして今日も明日も1仮想通貨ではある。

仮想通貨の特徴は

 では、仮想通貨が通貨でないとしたら、仮想通貨とは何なのか。
 仮想通貨に関しての日本銀行のサイトの説明を見ると、「暗号資産(仮想通貨)」と書かれている。仮想通貨という言葉は括弧付きだ。
 つまり暗号資産のことを一般的には仮想通貨とも呼ばれているという意味だろう。

 改めて仮想通貨の持つ機能を考えてみると次のようになる。

(1)仮想通貨の価値はドルと連動して決まる
(2)仮想通貨はネットを通じて他人に譲渡出来る
(3)仮想通貨はネット上に保存される
(4)仮想通貨は通貨に交換出来る


 要するに仮想通貨は通貨としての機能は持っていないものの、資産を通貨から退避させて移動させる機能があると言える。例えると金庫のようなものか。しかし金庫の中から見つかった昔の百円札が今ではガムすら変えない価値しかないように、入れた時と出す時で通貨換算の価値が変わってしまう。逆に言うと通貨には左右されずに保持・移動ができる。

それを仮想通貨と呼ぶのが正しいか

 こうして見ると仮想通貨という言い方は少し違っていて、むしろ暗号資産という方がしっくりくるのではないか。
 
 仮想通貨を通貨の代わりになるものとするのは、少なくとも現状では無理がある。そのためには、どこでも使えるようになる必要があるし、ということは納税にも仮想通貨を利用出来なければならないということだ。しかし、通貨と同等に使える仮想通貨があったとしたら、それはもはや単なる通貨であって、敢えて仮想通貨と言わなくても良いはずだ。
 一番のネックは、仮想通貨のテリトリーが全世界である限り納税に利用出来るようにはなり得ないということだ。

暗号資産の役割は

 仮想通貨を暗号資産として見た場合、他通貨との換金市場価格が安定しているのであれば、安全な資産保存方法のひとつとして選択出来ると思われるが、現状のようにゼロになる可能性もあるものである以上、資産を保存・保管しておくために安全とは言い難い。もっともこれも、自国経済が安定的で自国通貨のボラティリティ(変動幅)が小さいことが前提で、過度のインフレや通貨価格が不安定な国であれば資産を退避しておくのに有効かもしれない。

これからの仮想通貨の使い道

 仮想通貨と言うと結局は投機のための機能しか無いということになりそうだが、暗号資産と考えれば場合によっては使えなくもないということか。
 投機のためだけと考えてみた場合でも、FX(外国為替取引)とは違い、価値の裏付けが無いという意味で真の記号でしかない仮想通貨の市場価格の動きは、投機に対する人間の本質を映し出す実験材料としては興味深いと言えるのかも知れない。
 儲かることを期待してお金を投じるという点では投機とギャンブルは同じだが、賭ける時点で最大損失額が確定しているギャンブルに比べてレバレッジを掛けた投機はそれ以上に欲望が顕在化しやすく絶望を招き易い。
 仮想通貨で退場させられずに生き残ることは限りなく難しいが、人間の欲望の本質を理解し生存して帰ることが出来た時には、人には見えない何かが見えるようになっているのかもしれない。
 胴元が一番儲かるのはギャンブルでも投機市場でも同じであり、中でも仮想通貨が市場をつくる側の錬金術にしか使われていないのだとしたら、利用者は単にもてあそばれているだけだということに早く気付いた方が良い。
 つまり、手を付けるとしても遊技として楽しむくらいの気持ちでいた方が良いということだろうか。

おわり

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