アウトドア体験は豊かで深い振り返りの道具
この週末にロッククライミングをしてきました。
実はここ最近大学時代の友人に誘われて、SUPに挑戦したりシュノーケリングをしたりシーカヤックに乗ったりと、らしからぬアクティブさを発揮しています。
ただ楽しむだけではなく、いずれ野外アクティビティの指導者資格を得ることも視野に入れた体験です。
先の見えないこの時代、ライフワークは1つに絞る必要はないと堀江貴文さんの何かの著書で書かれていたような気がします。(うろ覚えですみません)
とは言え、別にそこまで先を見通した高尚な考えが僕にあるわけではなく
「海や山のアクティビティを人に教えられるくらい熟知している男ってかっこいいよな」くらいの軽い気持ちで取り組んでいます。
さて、早起きして向かったのは神奈川県内某所にある山間部。
車で近くの駐車場まで行き、そこから20分ほど歩いて岩場を目指します。
苔好き、植物好きの僕は足元の緑に夢中。
「え?こんなとこ登っていくの?」
という山道を少しだけ上がり、着いたのはそびえたつ岩壁。
その高さに慄きつつ、さらに怖いのは壁の真正面、自分の背中側が足を滑らせたらこれは助からないよな、という斜面、いや、崖になっていること。
前門の岩壁、後門の崖というロケーション。
指導者の方に注意点や器具の取り扱いなどについてレクチャーを受け、いざ登攀!
ところで漫画『岳』をご存知でしょうか。
石塚真一先生が描く山岳救助を題材にした漫画です。
その主人公である島崎三歩という男に僕は惚れ込んでいるのですが、
気分はまさに彼になったよう。
たかが4~5mの壁でしたが、それでもものすごい高いところまで登ったように感じました。
さて、ここからが面白いと感じたところで、一緒にいた2人の仲間はどちらも教員なのですが
仲間内で体験したことを振り返る中で、いろんな話が出てきました。
例えば・・・
・下で見ている時と、実際に登ってみたのでは全然違った!
・視点変えてみると登りやすさが違うよね
・登ってる時は必死だから周りの声が全然届かないんだよ
といったような感じ。
これは全て大事な気づきで、これをシェアすることで次に登る人が参考にすることができるのですが、
これをさらに普段の生活、特に教員として教育に紐づけて般化していくと・・・
・下で見ている時と、実際に登ってみたのでは全然違った!
→課題にチャレンジしている子の感じ方と、それを見ている教員の感じ方は違うよね。でもそれを忘れて「なんでできないの?」って言ってないか?
・視点変えてみると登りやすさが違うよね
→問題を少し俯瞰して見てみると、新たな解決の糸口がつかめるかもしれない。子どもにそれを提案してあげるのは教師の役目かも。
・登ってる時は必死だから周りの声が全然届かないんだよ
→何かを頑張っている時、本人は必死。周りが声の掛け方やサポートの仕方を工夫する必要があるよね。
といった感じになります。そのほかにも、ビレイといって登っている人の命綱を下の仲間が支えるのですが、そこから
本当の意味で「支援」ってなんだろう?と考えたり
「もう無理だ!」って諦めそうになっている時に、どんな関わりをすることがいいのかを模索したりすることに繋がる。
SUPもクライミングも、あらゆるアウトドアの体験はシンプルであり、さらにそこに命の危険を感じるからこその恐怖心や焦りがあることで、本音が出やすいのでしょう。
それゆえ、仲間、支援、信頼関係、励まし、チャレンジ、アドベンチャーといった要素が浮き彫りにされてくる。
街で日常を過ごしているだけでは気が付きにくい、人間にとって大切なことを強烈に想起させてくれる。
アウトドア体験にはその力があることを、今回のことで特に思い知らされました。
結局、教育に使える、とか、ダブルライフワークの一つ、とか
そんなコスイことではなくて、アウトドアは人生を豊かにする最高のツールの一つなのだろうと思います。
そして自分はアウトドアが実はかなり好きなのだ、ということも大きな発見になりました。
次のチャレンジもたのしみです。
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