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ボクシングはお休み

勉強における気付きについて

今週はお休みして、妻の実家におります。仕事も夏休みを取っています。こちらでは、農業を行っているため、そのお手伝いをしていました。馬鈴薯の芽取り🌱とか、草毟りに勤しんでいました。

作業をしている間は、勉強の進め方に関するガイダンス動画を聴講していました。BEXAの吉野先生のお話や、伊藤塾長のお話を聴いていました。夜は、計画していた民法テキストの読み込みを少しずつですが進めていきました。

久しぶりに落ち着いて勉強できました。そこでの気づきをいくつか記しておきます。

BEXAでは「アジャイル学習」を推していますが、このやり方、いまの自分に欠けていた視点のようです。呉基礎本の民法総則を読み進めていますが、「日常家事債務と110条」の論点はいままでも苦手でよくわからない論点の一つでした。今回、呉基礎本のおかげで理解できるようになりました。しかし結局、これを論じることができるようになるためには、当たり前ですが「論ずる」すなわち論文なりを書かないとできるようにはならない、ということを今更ながらに実感しました。ある論点を理解できたのなら、なおさら(論文・論証として)書いたり、(短答過去問などを)解いたりしないと身につけることはできない。

そのときは復習できていても、論文・短答を各々別の機会に解きなおすときには、忘れてしまっていることがままありました。そうではなく、復習として、論文・短答までひと回しして、はじめて復習終わり!とすべきだったのでしょう。いままでは、テキストの内容を、その内容で、そのままの内容で理解・暗記しようとして、覚えられなくて、それで論文・短答の学習に進まないという感じでした。しかし、それでは試験範囲を終わらせられないということに気付きました。こんなことを今さら書くのはなかなか恥ずかしいのですが、いままで記録が疎かになっていたため、ここに残しておこうと思います。

ボクシングもいくら打ち方を教えてもらっても、実際にパンチを打って、打ち込んで、それでボクシングを「やっている」ことになるのです。そのあとコーチにミットを持ってもらって、そのときにフォームについて修正を受けて、それで少しずつ、正しいフォームで打てるようになるわけです。こんな当たり前のことですが、ようやく「実感」を伴って理解することができたように思います。

ではこれから、どのように進まていくのか、また考えなおさなきゃいけません。ひとまず、この気づきを活かして、成長していこうと思います。

司法試験を受けること、その目的意識について

妻の実家に滞在中、義父に「司法試験の勉強はいつまでやるのか。」「趣味みたいなものなんだろう?」「合格したらどうするつもりなのか。」など尋ねられました。おそらく内心は自分がいい歳をして夢を持っていることに快くは思っていないのだと思います。しかし、決して頭ごなしに否定するような言い方をされない義父の指摘に、ありがたいな、と感じました。またそれ以上に、義父が投げかけたその問いに、どれだけ真摯に答えることができたかな、と思う自分に気付きました。

どれだけこの試験に対して、自分自身向き合えているのか、一応の回答しかできなかった自分は、どこか惰性で続けているのではないかと思いました。

今日・明日も夏休みで時間が取れるので、このあたりをゆっくりと見つめなおそうと思います。

メンタルの回復について

先週は、夏休み前にストレスの素である人からわざわざプレッシャーをかけられたりして、だいぶイライラしていました。しかし、妻の実家で農作業をやっている間はそのことだけに専念すればいいため、単調な仕事のなか、心も適正なリズムを刻めるようになったように思えました。水曜日から仕事ですが、この日にカウンセリングを受ける予定ですので、この数日の心模様を伝えられればと思います。

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