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「愛犬と包丁がないと眠れない少女」は、私たちのすぐ側にもいるかもしれない『海の境目』

【レビュアー/本村もも】

こんにちは。普段私はギャグ漫画や日常漫画ばかりをご紹介しているのですが、今日はいつもと少し趣の違う漫画、桃山アカネ先生の連載デビュー作、『海の境目』をご紹介します。

『海の境目』の舞台は、日本海と三角州に囲まれた町。主人公の由美子は、心を病んだ父と、世間体と自分のことばかりを気にする母親、家出の末クスリに溺れた弟、そんな家族に囲まれながらも、周りにはそれを感じさせない、どこにでもいる明るい高校生として日常を過ごしている。

そして由美子の同級生の時田(ときた)は、過剰なまでに自分をコントロールしようとするモラハラ父に、精神的にも身体的にも抑圧されながら、自分を押し殺して優等生を演じている。

そんな二人が、由美子の書いた校内新聞の映画コラムによって繋がりを持ち、物語はとある事件へと突き進んでいきます

色も音も感じられる、映画を見たような読後感

本作を読み終わって私は、映画を一本見終わったような感覚になりました。

画力が物凄く高いわけではないけれどメリハリのある特徴的な描き方により、一コマ一コマの情景が脳裏に焼き付けられ、白黒なはずなのに色を感じ、音がないはずなのに波の音や雨の音が脳内で再生される。

読み終わった後に本作を思い返すと、映像で再生される、そんな不思議な感覚です。

扱われるテーマは、地方都市の閉塞感、ドラッグ、DV、モラハラ、過干渉な親、無関心な親、早期妊娠、心の病、いじめ、少年犯罪、動物虐待、老人徘徊、貧困、売春・・・たった一冊の物語に、これでもか!というくらい多くの、社会問題が『海の境目』には盛り込まれています。

でも、「この漫画はフィクションだから・・」では片付けることができない、現実問題として、この全てが一つの小さな町の中に存在することが十分にありえることなのです。

愛犬と包丁と眠る少女は、私の周りにもいるのかもしれない

重く苦しいやるせないテーマが、トラウマのように記憶される本作。それでも私がこれを読んでもらいたいと思う理由は、10代の少女とは思えない強さを持つ、主人公の由美子という存在にあります。

愛犬と包丁が近くにないと安心して眠ることができない。そんな家庭環境にいながら、自分の境遇を受け入れ、誰に当たるでもなく、”普通”の高校生活を送る。同級生は彼女のそんな状況を知る由もなく、「由美子は悩みがなくて楽しそう」とさえ感じています。

由美子は自分の周りの人々を、どこか俯瞰しながらも決して見下すわけでもなく、受け止める。心を病んだ父親に愛犬を殺されても、その死を受け止める。こんな状況でグレたりせず、不登校にもならず、誰にも自分の痛みを伝えることなく、淡々と日々を過ごす。

初めて『海の境目』を読んだ時、私は由美子の強さに、「本当にこんな子いるかなぁ・・」と感じてしまいました。しかし、2度、3度と本作に触れるうちに、実は私が気づかなかっただけで、「私の周りにも由美子はいたのかもしれない」と考えるようになりました。

だって、由美子は誰にも何も言わず、周りに自分の状況を感じさせず、その痛みを完璧に隠して過ごすことができるのだから・・。

そしてそれに思い至った時、21歳でこの作品を描いた桃山先生の、強い想いと底知れない可能性を感じました。

私の周りにいる由美子に気づけたからといって、私に何ができるわけではありません。でも「由美子がいるかもしれない」そう思いながら、この世界を生きる人が増えることが大切なのではないか、そんなふうに感じられ、桃山先生、そしてこの作品を私に教えてくれた人からのメッセージを受け取ったような気がしました。

みなさんもこの作品に触れる際には、ぜひ時間をおいて2度、3度と繰り返し読んでみてほしいです。