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プラチナホワイト企業を30歳手前で辞めた理由 2年目

そうこうするうちになんと社内いじめが勃発したのが1年目から2年目にかけての春。そしてもれなく19歳のか弱いお嬢(わたし)もお局のターゲットとなるのであった・・・。

ちなみに勃発したいじめのターゲットはわたしではない。中堅の女性社員だ。
(おばさんがおばさんをいじめるってよくあるんですか?私には理解ができないのですが。)

つまりこの時期は社内のいじめは、
①お局と愉快な仲間達→中堅女性社員
②お局→19歳ピヨピヨ新卒かわいいわたち
この2件が同時に発生していた。

まぁまずは②のピヨピヨな私がいじめられた経緯から。

色々あれど1年目に仕事を教えてくれたメンターの先輩がめちゃくちゃいい人で根気良く面倒を見てくれた甲斐あってわたしは一見すごい伸び代がある人みたいに見えていた。そんな私に色んな意味で目をつけたのがお局だ。

お局は仕事がすごく出来る人のように見せていたが実際は全然そんなことがなかった。私を自分の直下につけて小間使いし自分の仕事の負担を軽くしようと思っていた。周囲からは「熱心に若い子に仕事を教える頼り甲斐のある先輩社員」とでも見せたかったのだろうが。そして仕事の半分以上をわたしに振ってきた。
通常であれば新入社員は1年仕事を教わってきたことを2年目で引き続きやるのがスマートな流れだと思う。私たちは営業事務ということもあり営業や顧客が変わればそれぞれのやりかたに順応しなければならない。私は1年丁寧に教えてもらった仕事を放棄して新しい仕事を覚えることとなった。顧客が変わることはそれはまた別の会社で働くくらいしんどいことだった。(この頃はそんなことすら理解していなかった)

そんなわたしは当たり前だがお局の期待に応えることはできなかった。
「予想よりも全然使えない」みたいなことはしょっちゅう言われた。
(勝手に期待したのは自分なのに)

毎日言葉に出さずとも伝わってくる私への不満。
「お前の面倒をみてやっている」「私ばかりが苦労している」「思ったより全然使えなくて私の負担ばかり増えている」・・・

一度だけ泣きながら謝られたことがある。
「八つ当たりしてごめんなさい」

分かっているのならそういう態度は辞めてほしかった。
自覚があるのなら直す努力をしてほしかった。

泣きたいのはこっちだ。

そんなことがあってもお局の態度が変わるわけもなく、私は毎日泣きながら出社して泣きながら帰る毎日が続いていた。仕事なんか少しも楽しくなかった。

そんな私と同時進行で悲惨な目にあっていた中堅の女性社員がいた。
些細なミスを大袈裟に取り立たされ、仕事を奪われ、罵られ。
当時は私も自分のことで精一杯だったが、そんな精一杯の気持ちを差し置いてでも目に余る悲惨さだったのは今でも忘れられない。

なぜ仕事のミスを彼女だけが責められたのか。
なぜ毎朝彼女の仕事の割り振りを他の女性社員で決めていたのか。
(私は戦力外通告ですので話し合いに入れてすらもらえません)
なぜ誰も気にしないような些細なミスを大袈裟に大声で指摘されていたのか。

今でも理解ができないようなことが繰り広げられていました。
仕事ができるような精神状態でないならそれなりの処置を会社がすべきです。
お局と当時の部署の女性社員は一体何を考えていたのか。
人の痛みのわからない人ばかりいるんだなと痛感しました。

これが①の出来事。

この頃から私も中堅社員の女性もかなり神経質になったと思う。
少しの物音でびっくりしたり過剰に物事に反応するようになった。
中堅さんが怒られている時は自分も怒られているようで気が気ではなかったし、それは中堅さんも同じ気持ちだったと思う。

トイレに行くのすら、休憩するのすら、昼休みの時間すら、すべてにおいて監視されているような気がして丸一日トイレに行かない日などザラにあった。
わたしの空気はかなり張り詰めていた。

その後はというと、夏の終わりごろ私は打倒お局に成功。
一方中堅女性社員はというと、その後1年弱様々な部署を転々としたのち退職された。(まぁわたしもこの出来事の8年後には退職したのだが)

なぜ、打倒お局に成功したのか。

繁忙期も終わった夏の終盤、きっとまた些細なことだったと思う。
もう覚えてもないがなにかを罵られた私はとうとう緊張の糸が切れてしまった。
当時の所長に「もうお局さんが無理なので担当顧客を変えてください」とメールした。なぜ所長なのかと言うと、この人はこの営業所に来て間も無く、お局の毒に対して正常な対処ができそうな気がしたから。それほどまでに社内の人たちはお局の毒に支配されていた。
しかし実際のところサーバーの切り替えができておらずメールは所長に届いていなかった。だから直接誰かが何かをしてくれたわけではないのだが、自分の中で「もうこのババアに笑顔を取り繕う必要もなくなった」と肩の荷が降りた。

無表情で「はい」だけ返事する日々は大変輝かしいものだった。
何を言われても「そうですか」を繰り返す。なんて気持ちのいいこと。
わたしが相手にしなくなったことをきっかけに、中堅さんへのあたりがより一層キツくなっていったような気がしたけど、わたしにはどうすることもできなかった。
わたしはわたしの食い扶持を守るのに必死だった。







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