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食糧危機と、断食

【20231217 画像追加】
【20231223 文章一部修正】

食糧危機といわれる昨今、日本では日々の食物を十分に確保できない人たちがいる一方、体内のデトックスや美容、ダイエットといった健康目的で 、あえて食事を制限する"fasting "を行う人が増えているようです。

食糧危機の時代に断食が流行るというのは、何だか自然の摂理のようにも思えてきます。

ちなみに日本では朝食は英語で「breakfast」 とよばれてますが、
一説によると、break (破る) と fast (断食する)→ 「断食を破る」 となり、つまり本来は食事をとらない時間に食べる、という意味なんだとか。

朝は吸収ではなく、体内のものを排泄し身体を浄化する時間、という発想が見えてきます。

ちなみに僕は普段、基本朝は水とホットココアで済まし家を出ます。

さて今回はfasting=断食の効果に関する故きエピソードが目に留まった本の紹介です。

水上勉さんの 『精進百撰』 という作品。

水上さんは『雁の寺』 という作品で第45回 (1961年) 直木賞を受賞された作家で、文比功労者でもあられる方です。

この本は、心筋梗塞で入院され、毎日の豪華な三食の病院食に苦しめられた末に入院生活を断ち、山荘で自炊の精進料理を食する暮らしをはじめることになった著者によって記されたエッセイ交じりの精進料理写真集、といった感じにまとめられています。

この本の中で、病院生活に危機感をおぼえた水上さんが枕元で手に取った、陸游という南宋の代表的詩人の詩が紹介されてます。

陸游は今から1000年近く前の時代を生きていた人です。

詩のタイトルは「蔬食(そしょく)」
詩の内容はこうです。(本から引用)
貧しい暮らしをしていた七十歳の時の詩です。

膳に向っていると、腸がごろごろ車をころがすように鳴っている。

春のなずなはもう花をつけてしまい、日を経た筍は竹になってしまいそうだ。

日ごろから、野菜の食事はたべなれているけれど、こうなってはそれも十分にない。

今年は徹底的に貧乏をし、もう一片の肉もない。

日が高くのぼった真昼、何もない。

ところが、あにはからんや、学問はそれでかえって少しく進歩し、ひもじさを辛抱して客と対座して堯舜の理想政治のことを議論しあっているのだし、もしこの理想の道が、ほぼ伝統を保ちさえすれば、たとえ山奥で餓死しようとも私には何の悔いもない。

精進百撰

少食はかえって学問を捗らせるということが、1000年前の詩に記されています。

この陸游の詩を読んだ水上さんは、薬を20錠ぐらい飲まされ三食がっつり食事を提供される病院をぬけだし山で蔬食メインの生活を送ることになります。

以来、77歳にして髪が黒々と戻り、しわの数も減っていったそうです。

食に関連したトピックをもう一つ。
この記事を書いてる間に、TVerでクレイジージャーニーを見ました。

今回はノンフィクション作家・高野秀行氏が、“酒が主食”という食文化を持つ、エチオピアのコンソという民族を取材する企画でした。

朝昼晩三食すべて"チャガ"と呼ばれる酒がメインという食文化を持つコンソの生活。

チャガは穀物を原料に作られたお酒で、栄養は豊富なようです。

村全体がアル中ということではないようです。

この村でコンソとともに生活をした高野氏が、カメラに向かってしみじみと言った言葉が印象に残りました。

「やっぱり日本人は食べ過ぎなのかもしれないな」

この村に来てしばらくチャガ以外のものはほとんど食さない生活を送ってるうちに、体の調子が良くなったという背景から出た言葉でした。

昨今、日本も含め世界でSDGs的な観点から、タンパク質確保のための昆虫食ビジネスなども注目されてますが、このような「代替」の発想とは逆に、余分な食生活を見直すという身体的な負荷をも低減させる発想を、僕は綺麗に思います。


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