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#32 10001回目に挑む勇気

私がアパレル企業に勤めていた25歳のとき、Y子店長というカッコイイ女性に出会った。

私より9歳年上で、もともとエリアマネージャーまで務める優秀な大先輩だったのだが、持病のヘルニアが悪化したため、店舗間の移動が少ない店長職に落ち着いた。とにかく売場づくりに強くマーケティング力も高い人で、接客も完璧だった。

そんなY子店長と私のお店は隣同士だったので、私はよくY子店長と一緒にランチに行ったり、飲みに行ったりしていた。



2007年に私が配属されたブランドは、当時なかなかの売れ行きだった。
しかし私がそのブランドの店長に就任して約3年後、大手アパレル企業との合併による組織編制でデザイナーが突然変わり、ブランドコンセプトに合わない服がどんどん量産されていったのである。

私だけでなくどの店舗の店長も「こんなの売れない」と嘆き、もちろん数字にも顕著に表れた。

気に入らない洋服たちをマネキンに着せながら
「前のデザイナーさんなら、もっとここは『ゆったりめ』に作ってくれていたのに」
「こんな色と素材のスカートなんか、誰が着るん?センスなっ!」
「どうしよう、お客様にはなんてこの服を勧めたらいい?『店長は悪魔に魂を売ったね』なんて思われるかも」
毎日沸々と湧いてくる、新デザイナーの商品に対する不平不満。

そんな気持ちは、やはり売り場に表れてしまったようで売り上げもがくんと落ちてしまった。と同時に、もともとMD(商品企画)を目指していた私のやる気も急降下してしまったことは、言うまでもない。

そして、前年度の売上を初めて割った月、落ち込む私をY子店長は飲みに誘ってくれた。

Y子店長はかなりの酒豪。いつもはだいたい2時間くらい「あーでもないこーでもない」と仕事の話をして解散するのだが、その日は初めて生ビールを8杯飲んだあたりで私をカラオケに誘ってくれた。

内心「カラオケかあ・・・私、酔ってないと歌えないかも」なんて恥ずかしさも30%くらいあった。
(私は車通勤だったため、ジンジャーエールを飲んでいた)

しかしいざカラオケ館へ出陣すると、Y子店長とのカラオケは緊張のキの字もないほど、とにかく楽しかった。

目の前で赤い顔をして中島美嘉を歌っているY子店長は「ここの1節だけ歌わせてー」といった感じで、とにかく自由に歌いまくる。

いつも仕事には厳しく、ときには私を「サービス残業しすぎ!」「スタッフにもっと店を任せなさい」と叱ってくれることもあったのだが、そんな上下関係は全くない空間だった。

お互いお腹が痛くなるくらい笑って、はしゃいだ。

そしてあっという間に店側から「お時間あと5分です」のコール。

私が帰る準備をしようとすると、Y子店長は「待って、あいちゃん!これだけ最後に歌わせて!あいちゃんに届けたい歌があるんだ」といってデンモクをピコピコ操作しはじめた。

私はおしぼりでテーブルを拭くのをやめて、Y子店長が何の歌を入れたのか見守りながら、「人生で『あなたのために』と歌ってもらったことなんてないなあ。いや、普通はバンドマンとかストリートミュージシャンと付き合いでもしなければ、歌をプレゼントされるなんてシチュエーションはないんじゃあないか」とドキドキしていた。

そこでイントロが流れる。


♪♬♪♬♪♬♪♬♪♬


「あ、知ってる」


曲はDREAMS COME TRUEの『何度でも』だった。


♪10000回ダメでへとへとになっても、10001回目は何か、変わるかもしれない♬

その頃、なんとか売上を上げたいがために、1日に売場を3回も変え、帳簿とにらめっこしている日々が続いていた。
つまり私は「へとへと」だった。

だからこの一節をY子店長が歌ったとき、奮い立たなきゃいけないような、でも苦しいような、言葉にできない感情がぐるぐると押し寄せて、涙が出そうになってしまったのだ。

曲が終わり、私は胸の奥からせせり上がってくるいろんな感情をおさえこむのに必死になりながらも、Y子店長に拍手を送った。

するとY子店長は「あいちゃん、大丈夫だよ。与えられた商品と箱で戦うの、まだ10000回も頑張ってないでしょ。最悪10001回目までやってみたら、何か変わるかもって、ミワチャンが言ってんじゃん」

私はこの言葉を聞いて、ダムが決壊したように泣いたのを覚えている。

本当は分かっていた。売り上げが下がったのは商品だけのせいじゃなく、自分の非力さの表れだったということを。
それを認めたくなくて、全てデザイナーのせいにして、目の前の課題から逃げていた。

「昔のほうが良かった」と、どの店長も口をそろえて今のデザインの悪口を言っていたのは事実だ。しかし蓋を開けてみると、前年を大きく割って売り上げを落としているのは私の店だけだった。

「こんなはずじゃない、私の力はこんなもんじゃない、もっと売れる」そう自分に言い聞かせ、毎日吐きそうになりながらディスプレイを考え、売り場を変えていた。

数字を落とさないために、売上を維持できる敏腕店長であり続けたいために…と、独りよがりで走り続けた結果、過去の栄光にしがみついている裸の王様ならぬ「裸の店長」になっていた。
そして「頑張らなきゃ」とは言いつつも心は不貞腐れている私を、Y子店長は全て見抜いていたのだ。そんなイタイ私を、優しく歌で叱って励ましてくれた。

それからY子店長は、「もう客層を変えて商売する時代かもね」と呟いて、私の背中をさすってくれた。

今まで来店してくれたお客様のニーズには応えられないこの新デザインの服たちを、新たな客層に向けて「売れる」服に変えるのは、お店づくりを任されている、私の手にかかっている。


25時をまわったカラオケ館で、私は泣きながら、やっと現実を受け止められた。


Y子店長が住む西新の自宅に到着すると、私は深々と頭を下げてお礼を伝えた。

Y子店長は「じゃ、また明日、売り場でね」と笑って『7月7日、晴れ』を口ずさみながら帰っていく。私はというと、西新から福岡市内の自宅まで、ずーっと『何度でも』を歌っていた。

少し前に行った1人カラオケで『何度でも』を歌おうとして、やめた。
たぶん泣くから。マスカラが落ちて、帰り際のお会計の時に「浸ったな」と店員さんにバレたくなかった。



そしてここまで書いていてふと思った。



平日は毎日執筆と決めたこのnote。10001回目を書くことができたら、どうなるだろう。いや計算してみたら10001回目は、ちょっと遠すぎるな。

ハードルをぐいと下げ、まずは4ヶ月かけて、101回目を目指してみよ。

何か、変わるかもしれない。


(それを信じて、今朝も5:00から布団の中でコレを書いています。おわり)

















































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