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3.1 卒業の顔

駅前からバイト先に走って向かっていたら、制服姿の高校生が前から歩いてきた。通学かばんを持っていない。胸には花のブローチ。いつもより少し晴れやかな顔。

3月1日、そうか今日は卒業式なんだなあ、とそこで気づいた。


卒業をテーマにした文章なんかいっぱいあって、だからありきたりな言葉しか浮かんでこない。見慣れた教室、通いなれた通学路、どんな日も毎日顔を合わせた友人、そんな言葉しか書けなかったから、なんか違うなあって、何回も下書きを消した。私だけの高校生活、だと思っていた3年間は、実は何も特別じゃなくていろんな場所で、同じように過ごされていた3年間なんだろうと思う。

だけどわたしにとっても、目の前を歩いてきた高校生にとっても、代わりのきかない3年間であったこともまた事実で、''すべて''であった自分を囲んでくれていたものたちがもう明日からは同じようにはないんだってことを知る卒業式、ひたすらに怖かった気がする。常にとなりにあったものをなくした一歩目、踏み出し方なんて簡単にわかるはずがない。


それでも、なぜだかわからないけどその先を信じているから、卒業するきみの顔はあんなに晴れやかなんだね、きっと。その先の未来はきっと明るさも暗さもいろいろな濃淡のある世界で、そんななかにひとりで進んでいこうとするきみは傍からみればちっぽけな弱い存在かもしれないけど、信じているひとの崩れない強さも同時に知っているから、美しく輝いているんだな。


わたしの高校の卒業式は、第一志望の国公立大学の入試直後。まだ前期試験の結果が出てないし、そんななかで後期への勉強も始めておかなきゃ、、っていうすごい不安定な時期だった。

わたしはどんな顔をしていたんだろう。

正直前期日程の試験にはまったくもって自信がなくて、落ちただろうなって思っていた。だからあんまり晴れやかな顔をしていた記憶がない。国立の大学に合格した、っていう3年間の努力の証明みたいなもの欲しさに後期日程の入試は捨てられなかったし、だけど第一志望に行きたいがための浪人っていう選択肢もちらついていて、漠然とした未来への希望みたいなものはあまりなかった。リアルな、それでいてどこか少し後悔の残る道だけが示されていた。

自分がどんな顔をしていたのかはわからない。写真を見返してもそこに写っているのは、思い出を残すために最後は笑顔でいようとする自分の顔。それもそれで素敵なんだけどね。

客観的な弱さと、だけど折れない主観的な強さと、同時にあわせ持った高校3年生の顔。どこまでも澄んでいて、まっすぐに前を見つめる瞳。

わたしの高校3年生を否定するつもりはさらさらないけど、少しうらやましくも感じた。そんな顔していたかったなあ、って。

全国の3年生、卒業おめでとう。



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