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「生きることをやめてしまうかもしれなかった」

20代の頃から好きな新潮社執行役員の中瀬ゆかりさん。
旦那さんはハードボイルド作家の白川道さん。
「うちのとうちゃんは‥」と、
白川さんの話をするときの中瀬さんはいつも楽しそうだった。

2015年に白川さんは亡くなられ
中瀬さんは2年ほど「1人になったら死んでしまう」と
毎晩、知人程度の仲の人間でも良いから食事へ行っていたそう。
動画内でニクヨさんが
「魂の相続したんですよ」と仰っていて、
なるほどな〜!と納得しました。

母を亡くした時、私はこの世の全てを恨んだ。


街ですれ違う人すら憎く思えたほど
なんで、なんで、お母さんが死ななきゃならないんだ
と怒りと哀しみで壊れていった。
そして、当時12階に住んでいたのだが
飛び降りようという衝動はずっとあった。

私の場合、コロナ禍で人と会う機会がなく
世の中自体自粛モードだったので
どんどん籠っていった。
なので叔父が可能な限り家に来ていた。
一人にしないようにしていたのは何となく気がついていた。

「親が先に死ぬのは普通」だの
「もっと子供の時に親を亡くした人もいるんだから」だの

私が立ち直れないことに
周りは呆れて引いていたのも感じていた。
その度に
「お前が今、最も愛してる人が死んでみろ。そしたら分かるよ!」と
強く怒りを抱いていた。

そして、言ってきた人間には全員親が生きていたので
余計に腹がたった。
立ち直れないことに呆れていたのは、
他人だけではない。
誰よりも私自身が一番、歯痒かった。

母を亡くして、東京に戻り事務所に復帰した頃
仕事関係の先生が
たまたまいらっしゃった。
普段はお会いする機会がほぼないのだけど、
あの時は本当にたまたまだった。
先生から近況を聞かれた時に、母を介護して看取ったことを
笑いながら話していたら
先生は座って、私に語りかけてくれた。
「僕は2年かかりました」

先生も、若い頃にお母様を亡くされたようで
お父様とご兄弟と交代で病院へ行き‥
という話から
「今、その辺に歩いてる人が憎いでしょ」と聞かれた時は
ドキッとした。

私は、あの時
先生が「今、その辺に歩いてる人が憎いでしょ」という
気持ちを言葉にしてくれて
少し安心したのを覚えている。
それは一つの救いでもあった。

誰にもわかってもらえなかったから。
私の職場は、誰一人
私を見限ったり励ましたりはしなかった。
ただただ
会ったら、いつも通り話をしてくれた。

どれだけ救われたか
私は、事務所に感謝してもしきれないのである。

私はまだ、動画内の
死者と一体化や、魂の相続には至ってないけれど
遠からずその日は来るのではないかと
母を亡くして3年、なんとなく思う。