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何が嫌ってさ

「俺さ、結局何が不安材料なのか考えたよ。もう独りだしさ、今更欲しいものもないし、怖いものもないし、独りじゃ死んだって俺のことなんて誰の記憶にも残らないっていうの」

「ヤマさんが死んだら私とトモさん、玲子さん、洋子さんがちゃんとお葬式出すから。それは安心して」

「おや嬉しいね、それはありがとう。いやさ、俺が一番嫌なのはさ、認知症だってことに気づいたんだ」

「認知症?それならショウくんの分野だね」

カウンターの一番向こうに30歳くらいのちょっとスッキリした顔立ちの彼が座っていた。でも彼はまだこの時点ではコーヒーを飲みながら耳だけこちらに傾けている感じだった。

「認知症はさ、自分を破壊していくんだよ。ここまで色々あり過ぎた人生だけどさ、ポンコツなりに自分ってモノを確立してきた訳だ。それがさ、自分で自分がわからなくなっていくんだぜ。自分が大事にしてたものも、自分が守ってきたものも、自分が旨いって思ってたものも、なぁ〜んにも分からなくなっていくってことなんだ。俺にはそれ、耐えられない。自分がいなくなるのに身体だけあったってさ」

話しながらヤマさんはショウくんの方に目をやった。今年になってまだひと月足らずだというのにヤマさんとショウくんはハシドイで顔を合わせるのは三回目だそうだ。去年は一度も会わなかったのになんだこの確率はとお互いに苦笑いしていた。
どうやらショウくんは町のデイケアセンターで働いているらしい。

ヤマさんは続けた。
「俺はさ、絶対に行きたくないわけ。そういうとこ。自分のことがわからなくなってるっていうのにそういうところで遊んだり、歌うたったりってそういう自分は想像したくない。したくないことをしている自分が認知症になってしているかも知れないってことが嫌なんだよ」
実際終活を考えるなんてさ…って遠い先のことかと思っていたのにいきなり目の前に迫ってきたように話した。

私は目の前のチャイをひと口啜った。

外は陽が暮れそうだった。その日は父の命日で午後になって母と二人福泉寺へお墓参りに出かけることにした。一月だというのに気温が18度もあって四月中頃の陽気だと天気予報で言っていた。青空の青さがもうそこまで春が来ていると告げていた。実際山の中腹にあるお墓からの帰り道、梅の蕾が綻んでいて、放っておいても春はすぐにきそうだった。

母を家に降ろしてから私はサヤカちゃんのやっているカフェハシドイに顔を出した。ここは使われてなかった蔵をサヤカちゃんが持ち主を探し出して懇願して借り、センスの良い彼女らしい趣きのある店に設えてある。古くて分厚い引き戸にはステンドグラスがはめ込まれ、そこから射し込む西陽と石油ストーブの温もりと香りが、まるで大正時代に誘われたかのような錯覚を覚える。この店は鍵かっこ型のカウンターに7〜8人も座ればもう一杯になってしまう。小さな町なのに初めて顔を合わせる者同士が同じ空間で時を共有し、会話が弾むのもそれは楽しいものだ。誰かがサヤカちゃんと話しているとその会話に横入りしたり、サヤカちゃんが別のお客さんに話を振ったりして、いつのまにか「同じ時を共有する仲間たち」みたいな構図が出来上がっている。それで別名スナックハシドイとも言われるらしく、その例えには妙に頷いてしまうのだが、一人ずつ丁寧に挽くコーヒーに拘りがあるサヤカちゃんとしては、どうもスナックといわれることはお気に召さないようだ。

サヤカちゃんがショウくんに話を振った。
「ショウくんどう思う?認知症になるって辛いことなのかな?」

「うちにはそこまで酷い人はいないからなぁ。でもみんなハッピーな感じがするよ」
「認知症で辛いってあるのかな?だってわからないんじゃないの?」
ショウくんの隣りにいた寡黙な雰囲気のちょっとアパレル系男子が口を開いた。
「そうだなぁ、認知症の人が辛いって感じはあまりしないなぁ。みんな素直に楽しんでるように僕にはみえるから」
とショウくん。

私は黙って聞いていたが、母のことがちらついて口を挟んだ。
「ちょうどうちの母が今認知症の入口にいて…。実は本人は辛いんじゃないかなと思う日々なんです。母は明らかに今までの自分ではなくなってきていることに気がついていて、例えば煮物を作っていてちょっと味がおかしいのね。長年作っているから目見当で味付けをするんだけど、出来上がってみると自分でもなんでこんな味になったのかわからないって言う。それで凹んで最近は私にいちいち味見してと言うようになってきたのね。砂糖と塩の加減がトンチンカンになってきてるみたい」
みんな黙って聞いていた。

「あと今までの母なら絶対買わないだろう服を凄く素敵とか言って買おうとするから、他のお店も見てみたら?と言ってもこれは絶対買うと言い張るの。まぁ、そんなに気に入ったなら本人がお金出すんだし、どうぞどうぞと…ところがしばらくしてからなんであんな服を買ったんだろうっていうのね。そうだろうな、やっぱりそうきたかって。本人は自信があるのよ、良い買い物をしたっていう。だからね、独り言が増えちゃって。あぁ、馬鹿だ。なんでこんなものを買ったんだろう。私は馬鹿だ。まったく何やってるんだかって。その口癖がかわいそうになる」

実はこんなもんじゃない。鍋をかけてうっかり忘れて火災警報器が鳴ったこと2回、鍋の丸こげはもっとあるがそこまでは言わずにおいた。

耳が遠くなり、口数が減った。口を開くと今までお世話になった人、迷惑をかけてきた人に悪いことした。謝りたいとそればかり言う。だから母に限っては楽しいよりも「もういいよ、もう十分生きた」と言うのだ。

そういえばこんなこともあった。

町の文化祭で見た墨絵に感動し、習いたいと声をかけたらしい。そしてなんと83歳の手習いが始まった。そういうところ、まだまだ気持ちにガッツがある。 ところが何度か通ううちにそこに居場所がないと足が遠のき出した。どうしたの?と聞いたら
「習いに行っているのに、誰も教えてくれない」
という。皆お喋りしに来ていて、本気で墨絵をやろうという人はいないらしい。一年のうちの何時間かで作品展用のものを作ってあとはどうやらお喋りのお集まりらしいのだ。 知り合いがいなくて墨絵を描く人がいない場所に道具を持っていってもつまらないという。

「歳を取るって合わないことがハッキリするのよね」

それは寂しそうだった。
自分で尚も学ぼうという気持ちがあっても萎えることとぶつかる。
したいことをしようとしてもうまくいかない。これが認知症の入口でどんな変化をもたらすのだろう。

「認知症ってさ、ある日を境に訪れる訳じゃないじゃん。知らず知らずっていうか、老いは忍び寄るとか言うけどさ、化けきる過程が嫌だねぇ」
ヤマさんは続けた。
「もっとも化けたかぁないから、俺はジタバタするよ。それですっ飛び歩くね。でさ、みんなで笑ってやってくれよ。嫌だけど、行きたかぁないけど、どこでも放り込んでくれ。そしてもう放っておいて。呆けた俺に用はないだろ。俺はなんにもわかっちゃいないんだから。俺の人生って最期はこんなもんさ」
言うだけ言ったらヤマさんはコーヒーを一気に飲み干した。右耳でストーブの火がパチパチ言っている。

私もいつか知らないうちに自分と別れる時が来るのだろうか。想像したことはなかったけれど束の間想像を巡らせてみた。
頑固で人にも騙されて、言わないといけない場面でモノが言えなかったり、させないと育たないよとわかってるのに、忙しそうだとつい自分でやってしまう。変な気を遣ってばかりの私を私は好きだったんだろうか。そう言われるとほんと自分で自分のことが厄介で嫌だった。こんな性格でもヤマさんみたいに「色々あり過ぎた人生だけどさ、ポンコツなりに自分ってモノを確立してきた訳だ」

もうお別れだよとなった時、愛着に気づいて発狂しちゃうかも知れないなぁ。でもそれが認知症になってたらその機会すらないんだわ。化ける前にもうちょっと後悔しないでいい生き方しておかなくちゃな。

そんなことを思って私もチャイを飲み干した。

 

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