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以心伝信で、小さな信頼の循環を生み出す:Fo[r]est conscious-亨

自分に取り入れる情報は自分で選ぶようにしよう!と決めてから[スキ]をいただけることの喜びを余計に感じています、ありがとうございます!

なぜだろうと振り返ると、noteでは[他のSNSにはない出会い]があったから。これは、わたしの[noteの使い方]にも理由があると思うのですが、

Facebook▶実際に知っている人とだけ繫がっている、近況報告

instagram▶写真といくつかのタグで投稿、スキなものの記録

Twitter▶鍵つきにして備忘録

note▶匿名、心の動きの記録

Facebookに投稿している内容に嘘はないし、普段の自分のことをありのままに書いているので、それを読むとわたしがどんな人間かは伝わると思います。けれど、旅に行った話とか音楽を聴いてこう思ったとかそんな話が多いので、そこから汲み取れるわたしのことは表面的な印象に繫がるものが多いのではと思います。

instagramは写真だけで、且つスキなものの記録を投稿しているので、スキなものが一緒だと思われる人が見てくれています。わたし自身も、自分のスキなものに対して新しい情報を取りにいくのに使っている感じなので、情報に興味はあるけれど、その発信をしている人にはほとんど興味がわかないです。

Twitterは、鍵つきにしてメモ代わりに使っています。世間を賑わしているように、使い方によっては自分も他人も傷つけてしまうような一面を持っているので、クローズドでの情報収集として使うにはとても優れていますが、今のわたしには使いこなせないので距離をおいています。

noteでは、名前や職業、年齢など個人を特定できるような情報は出していないけれど、書いていることは普段の[ありのままのこころの動き]だったりするので、普段出す部分と出さない部分の両方のわたしがここには存在しています。

もちろん[どこの誰]ということを明らかにして自分が言いたい事を言うことだって、大事な場合があることは理解しています。

けれど、どこかで[何者でもない自分]でいてみたい気持ちがあって。ある意味[パラレルワールド]のような世界をつくり出す感覚というか。

現実がつまらないとかではなくて、もし第一印象が[表面的な自分]からではなく[内面]からだったらどんな出会いが生まれるんだろう?ということに興味があったから。

現実の世界ではいくら[心がスキ!]といったって透明人間同士でない限り、多少なりとも出会った時点で表面的な印象を受けることになる。

顔(メイク)や表情、ファッションだってその人を体現していると思うから、外見で判断する事が間違っているとも思わない。

けれど、不器用でそういったところに無頓着な人が実はすごく気があういい人だったかもしれない!というパターンもあると思っていて。

そういう点で、noteでは純粋に[世界観]や[文章や表現を通してにじみ出る人柄]など内面に魅力を感じて繫がる可能性がある人に出会えるんじゃないかな、と。なので、今は自分の記事を読んでスキをくれた方のページへ行ってその方たちの記事を読むことも楽しんでいます。

これは、本当に不思議だけれど毎回思ってもいないような学びがあります。

一見、自分とは違う方向性のようなビジネスっぽい記事を書いている方だとしても、心からスキって思える記事がないかな... とスクロールしていくと、今の自分に響く記事や言葉があったりする。

毎日のニュースでは、誹謗中傷とか悲しいニュースばかりが取り上げられているけれど、ここ数日で感じたことは[みんなそれぞれもがいたり悩んだりしているけれど、とても優しい人が多い]ということ。

メディアで騒がれていることで批判ばかりする人が多いような気にもなるけれど、それ以上に物事を深く考えていたり、思いやりをもった人がたくさんいるんだな、と思います。

実際の出会いだともしかしたら、いわゆる第一印象でかかわる可能性がなかったかもしれないような人だとしても、文章だといいところをゆっくり探すことができる。

もちろんすべてに共感できるということはないけれど、自分が大切にしている事と一緒だ... と思えるような記事に出会えると[小さな信頼]が生まれる瞬間を感じます。

たとえ見ず知らずの人だとしても[小さな信頼]を繰り返す度にどんどん自分の中で信頼が深まって、その出会いをきっかけにその方を通してあたらしい世界が広がっていく可能性がある。

そんなserendipityな出会いを楽しんでいます。

どのSNSにも自分にとっての役割があって、それぞれをうまく使いこなせると本当に便利。あらためていい時代に生きているなと思いました。

数日前に自分の気持ちが[テレパシー]みたいに伝播したらいいのに... と書いたところ、さっそくあたらしい展開が。

なにげなく掃除をしている時に発見した昨年発行の雑誌。捨てるつもりで手に取ったのだけれど、なんとなくちょっと読んでみようかという気分になったので読みはじめると、あるスポーツ選手の父親のインタビュー記事を見つけた。

彼は、息子が小さい頃から練習の送り迎えをしたり、アドバイザーとしてサポートをしたり、アスリートの練習環境を整えたりと自分と息子の夢を叶えるために走り続けてきた。

インタビューの中の言葉で[夢というのは日々自分によっていくらでも進化していくものだと思っていますし、多くの人を巻き込むことで、一人では実現することができない大きな夢だって実現できる。そういうことは子どもたちと直接話してはいませんが、言葉にしなくても彼らには伝わっていると思う]

これって... [テレパシー]だ... !!そういえば実家の母もこんな事をいう。[あ、お父さんから電話だと思う。切るね。]

たしかに、信頼している人の間ではこういった現象はよく起こる。SF的な話ではなくて、長く一緒にいる人たち同士だからこそわかる気配のような感覚で、この時間に電話してくるのはお父さんだろうって話だけれど。

もし、今世界中で起こっているネガティブな状況を好転させるために、テレパシーを使えたら?テレパシーが信頼している同士の間で起こせると仮定したならば、信頼によって繋がった人みんながポジティブな考え方を同時多発的に発信できたら?

もしかしたら、みんなの力で世界を変えられるんじゃないか、って思った。

今は世界中の人と好きな事を通して繫がる事ができるし、芸術や音楽など言葉がわからなくてもわかりあえるツールはいくらでもある。

世界中の人がインターネット上での[心と心のコミュニケーション]を通して[小さな信頼]を生み出しながらかかわっていくことができたら。それはきっといつか、大きな信頼になる。

もしかして、インターネットは現代のテレパシーの可能性なんじゃないか、と思った。

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