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感情をじっくりと味わってみる:Fo[r]est conscious-浄

おうちにいる時間が増えてから泣くことが増えた。悲しい感情からではなくて[感動]とか[しあわせな涙]ばかり。

Stayhome中にはたくさんのミュージシャンが遠隔で音楽を届けてくれて、ライブ配信をみる度に泣いたり、素敵な考え方のインタビュー記事を読んで泣いたり、本を読んでいい言葉に出会って泣いたり、昔起こったできごとにおもいがけず大切な意味があったことに気づいて泣いたり...

そのうち、朝カーテンを開けて日差しを浴びて鳥の声に耳をすませながら裏庭の木々を眺めているだけでも泣けてきて、極めつけは飾っていたお花から空気の泡がぷくぷく出ているのを見つけて[君、生きているんだね... ]って涙がでたり。

普段はほとんど泣かないしそれどころか感情をあまり出さないから[今の自分は人間らしいな]なんて思いながら心が感じたままに過ごしていた。

たしかに毎日の感情にいちいち反応していたら、今までのような[慌ただしい日常]には対応できないから、感情のセンサーが省エネモードで作動していたのかもしれないし、時間の流れがゆっくりになったことで今まで見過ごしてきた感情を認識しはじめただけなのかもしれない。

[泣く]ってあらためて考えるとすごく不思議。悲しい時だけではなくて、ものすごく嬉しいときも、怒りが爆発したときも、笑いすぎた時にも泣くことがある。

他の感情よりも発散するエネルギーの量が多いのか、今まで泣かなかったぶん泣いてバランスがととのったのか... とにかく[涙の浄化]がもたらしたスッキリ感はすごかった。

それと関係があるのかはわからないけれど、少しずつ[自分の感情を尊重した行動]を取っていることに気づいた。

心の中だけれどまるで[誰かと話している]かのように

[あ、おなかすいたのね... っていうか本当に食べたい?]

[うん、かなりおなかすいてる]

[了解、じゃごはんつくろう!]

... と、ちょっと意思確認が入ってくる感じ。

他にも、仕事で期限がない限りは気分が乗る作業からはじめたり、何となく音楽を聴くんじゃなくてこれを聴きたいと思って聴いたり。人から何か言われても自分のやりたいことがあったらペースを乱さないように自分の時間を優先したり。

自然といろんなことを[心の中にいるもうひとりの自分]と相談してから決めるようになっていて、自分が自分のことをちゃんと大切にしているということをだんだん自覚しはじめる。

今までは[自分のコントロール下にない時間]に自分を無理矢理合わせていて、感情と行動が一致していなかったのだろう。

ストレスのほとんどの理由が何かしらのバランスを崩すことだと理解していても[何と何がバランスしているのか]ということは思っているより複雑で、じっくりと味わったところでわかるような話ではないのかもしれない。

けれど、だいぶ前から一向に[怒りの感情]が沸き上がってこないので、一体何とバランスしているんだろう... とついつい考えてしまう。もしかしたら[怒り]と[何か]が対になっているのではなくてポジティブとネガティブみたいな大きなくくりでバランスしているのかな...  

まだまだわからないことばかりだけれど、いろんなことを感じて自分で体験しながら納得できることが増えていくことがすごく楽しい。

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