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35歳の私が会社を辞めて海外留学した理由と葛藤

私は2024年8月からWBSの交換留学プログラムで、ハワイ大学マノア校に留学しています。
この留学を実現するため、様々な想いがありましたので、その想いを言語化したいと思います。


留学を希望した理由

留学への憧れ

私が留学に興味を持ったのは今から15年以上も前、大学に入学してからでした。
ドメスティックな環境で育った私は、学校の勉強以外で英語に触れることはなく、海外旅行も家族で数回行ったことがあるくらいでした。
しかし、大学に入ると国際経験豊かなバックグランドを持つ友人たち、そして限られてはいますが、英語を使う機会も増え、漠然と留学に興味を持つようになりました。

一方で、当時は英語力も資金が皆無、奨学金に関する知識もありませんでした(仮に奨学金のことを知っていても成績が乏しい私には厳しいと思われる・・・)。
また、浪人までして学費の高い私立大学に入っている私には、たいした目的もなく親に海外留学の費用を出してくれ、とは言うことができませんでした。
ただ、今思えばそれは単なる言い訳で、その時の私は留学に対してそこまで本気でなかったのではないかと思います。

そして当時の私は、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま親に相談し、1カ月だけニュージーランドの語学学校に語学留学にすることにしました。
初めての一人での海外にホームスティ、更には地震に巻き込まれるなど、不安や困難もたくさんありましたが、全てが初めての経験に毎日が刺激的で充実した1カ月間でした。

今振り返っても、心から行って良かったと思える貴重な経験でした。
この経験をきっかけに私の中で海外のハードルが下がり、本格的に海外に興味を持ちだしたことを覚えています。
以来、40か国近く海外旅行をしていますが、海外生活という意味ではこれが私の唯一の経験のまま、今日まで来ました。

消えない留学へ思い

そんな私が大学を卒業してから10年後、今度は大学院に通うことになり、思わぬ留学のチャンスを得られました。
そう、今通っている大学院にも交換留学のプログラムがあり、再び留学のチャンスを目の当たりにしたのです。
いや、冷静に考えれば大学院進学時に海外大学院へ行くという選択肢もあった訳なので、その時から留学することを真剣に考えていればよかったのですが、大学院進学もノリと勢いで来てしまったので、受験時に留学のことなんて1ミリも考えていませんでした(下記記事参照)。

WBSでは学生主体で留学相談会などのイベントもあり、留学経験者から話を聞く機会がありました。
また、授業の一環でも海外で学んだり、留学生と一緒に勉強したりする機会があったので、そうした経験を通じて自分の心に留学への想いがどんどん高まっていることを感じてました。

留学に至るまでの葛藤

留学のハードル

しかし、いざ留学について真剣に考え始めると、様々な現実的なハードルにも直面しました。特に大きかったのは、①家庭(子ども)の問題、②仕事の問題、③卒業時期の問題、④英語力の問題、⑤お金の問題の5つです。

①家庭(子ども)の問題

私は障害を持つ子どものシングルファザーです。
ただ、子どもは病院におり、昨今は面会制限もあるので、日常的に何かするということはありません。
また、私が不在の間は両親が面会に行ってくれることになっています。
とは言え、幼い子どもを1人残して海外に行くのは不安があります。

さらに、体調も必ずしも良いは言えず、過去に何度か呼び出しを受けたこともあるので、万が一の時に傍にいることができないのではないかという不安もつきまといます。

ただ、これは「気持ちの問題」であり、留学に限った話ではありません。
子どもの状況については医師とも何度も話をしていますが、見通し立てることは不可能でもあるため、「私の人生の中で子どもとどう向き合っていくか」という普段から考え、覚悟を決めていることです。
なので、最終的には他の問題がクリアになった時点でこちらも割り切ました(とは言え、本当に留学に行くのかは渡航ギリギリまで子どもの様子を見ながら悩みました。)。

②仕事の問題

社会人が留学を考える時に多くの方が悩むのが仕事をどうするか(海外でリモートor休職or退職)だと思います。
実際、私が話を聞いてきたWBSの留学経験者たちも仕事の扱いについては様々で、みんな悩んだようでした。
ただ、WBSの交換留学には学内選考があり、応募すれば必ずいける訳でもないので、実際に合格してから会社に相談する(or退職する)という方が多かったです。
中には、学内の選考を突破したのに、結局仕事をとって留学に行けなかったという人もいました。

私の場合、リモートや休職という選択肢はなかったので留学に行くか、会社を辞めるかの2択でした。
正直、勤めていた会社は良い会社だと思っており、大きな不満もなかったのでWBS在学中ずっと悩んでいました。
周りに相談した時も「やりたいことをやるべき」、「この会社を辞めるのは勿体ない(交換留学と釣り合わない)」という意見が半々くらいでした。

そして悩んだ末に、「(人生で最初で最後かもしれない)留学>今の仕事」という結論になり、留学したいという気持ちを優先することにしました。

③卒業時期の問題

私のプログラムは2年間で卒業するのが基本的なスケジュールです。
留学するにはその半年以上前にある学内選考に応募する必要があり、さらに英語力などの要件は通常、学内選考応募時に満たしている必要があるため、大体留学の1年くらい前から準備をする必要があります。
そうすると、2年で卒業するには入学直後から留学の準備をする必要があり、かつ通常よりも早めに必要な単位の取得や修士論文の執筆を行うなど、ただでさえ大変な学生生活に更なる負荷がかかります。

また、私の中でもう一つ大きな問題として考えていたのが、WBSでの学びと学友たちとの時間が減ることです。
大学院への進学理由は適当ではあるものの、進学してからは学びを最大限にしたいと考えており、そのために「講義等を通じて幅広い知識を身につける」、「学友と過ごす時間を大切にする」ことを意識してきました。
もし、2年で卒業する場合、2年しかない時間のうち約半年を留学にあてるため、取りたい授業を取れなくなったり、学友たちと過ごす時間が減ってしまうことが引っかかっていました。

悩みに悩んだ末、WBSでの学びと学友たちとの時間を大切にしようと決め、卒業を延期して3年目に留学に行くことにしました。
その結果、同級生の卒業を見送るという寂しい想いもしましたが、2年間で学びたいことをしっかり学び、かつ同級生たちとたくさんの思い出を作ることが出来ました。

④英語力の問題

交換留学では、協定校毎に応募に必要ないくつかの要件があります。
その最たる例が「英語力」なのですが、多くの英語圏にある協定校では、(私からすると)それなりに高い英語力が求められ、私が必要な要件を満たしている大学は英語圏では限られていました。
そのため、WBS在学中に細々と英語も勉強し、要件ぎりぎりの英語力で何とかアプライすることが出来ました。

なお、WBSの協定校は英語圏に限らず世界中にあります。
中には必ずしも英語力を要求しない学校もあり、英語力を証明できなくても留学することは可能です。
ただ、私はWBS在学中にシンガポールとフランスで授業を受けた経験もあり、どうせ留学するなら英語圏で留学生活を送りたいという思いもあったので、英語圏にフォーカスして応募しました。

⑤お金の問題

最後の問題はお金の問題でした。
一時期1ドル160円を突破するなど歴史的な円安環境の中、ただでさえ物価の高いアメリカに留学することは経済的な問題をはらんでいました。
ましてや会社を辞めていくことにしていたので、無収入の中で留学生活を送ることになります。
今の資産や利用できる奨学金、凡そアメリカ留学にかかる費用などを調べ、どうにか留学生活を送る資金計画の目途をつけることが出来ました。

最終的に解決の決め手になったのは退職金でした。
一応、日系大手企業に10年以上勤めたので(計算上は)半年間アメリカで生活できそうなくらいの退職金は頂けそうでした。
ただ、予定より多くの費用が掛かった場合には緊急帰国の可能性、無事に留学生活を終えても帰国後即就職の必要がある、という背水の陣で挑むことになりました。笑

以上が35歳の私が会社を辞めてまで留学をした理由と、留学に際しての葛藤でした。
正直、35歳で無職になってまで留学行くのはどうなのか、と思うことは何度もありましたが、実際に留学生活が始まった今、毎日が充実しています。
この決断に後悔がないように、これからの留学生活を頑張っていきたいと思います。

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