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大人の嫌なところ

父親は話したがり

 現在仕事を休職している私は、実家で過ごしています。不動産を営む父と元銀行員で専業主婦の母がいますが、仕事の相談はこれまでも主に母にしていました。理由は、私も銀行員であり、銀行員の悩みを理解してくれること、説教ではなく提案をしてくれることにより気分が楽になると感じたからです。逆に父に相談はほとんどしませんでした。理由は一つで、説教が長いからです。元々、伝えたいことを端的に話すのが苦手なのにおしゃべりが好きというのもあると思います。「こんなことがあって嫌だった」というと、「これはこうした方がいい、昔こんなことがあってな…」と延々と聞く羽目になるのです。1回目はいいのですが、私にとって違う種類の悩みでも父が話すエピソードは同じです。何回も言いたくなるほど当人にとっては大事だと思っているのかもしれませんが、実際に経験していない私からすると、「何度同じ話を聴いても実際の状況になったら自分は違う感じ方をする」と思うのです。

休職中言われて嫌だったこと

 休職の原因は人間関係や業務の無理が溜まったことなのですが、それを何人かの大人と話す機会がありました。その中で一番嫌な言葉ができました。それは「でも、俺の時代は○○なことがあって大変だったからまだ恵まれてるほうだよ」です。今大変な思いをしている人を前にして、よく”自分の方が大変”自慢ができるなと思います。この言葉は私への共感ではありません。時代や業務が違う以上、完璧に共感はできないはずなのです。こちらが嬉しいと思うのは感情への理解です。共感のふりをした懐古は独りでやってほしいものです。真に理解しようとしてくれる人は、こちらの話を引き出そうとしてきます。逆に、そんな人の言葉は大切にしようと思うのです。

相手を思うようで自分を思う

 職場では、月に一回上司との面談がありました。私が苦手としていた上司は面談の時だけ良い人を演じているようでしたが、チェック項目の”部下の発言の割合”を気にしつつ上手に聞き出せないのか、「とりあえず何か喋って」と仕事の放棄の宣言みたいなことを言ってきていました。毎月こんな感じなので、上司だろ、金もらってんだろ、と思いながら喋っていました。チェック項目を埋めたいという自分のことしか考えてないんだなと強く思い、そこから上司など目上の人が、どれだけ私のことを本当に思った発言をしているのかを図るという癖ができました。なんとなく、自分の話が長い人は用心深く、共感ではなく理解を目的としている人には心を少し預けてみるという気持ちがあります。本当に私のことを考えてくれる人についていきたいし、私自身もそんな先輩上司になりたいと強く思います。反面教師となる人は周りにたくさんいるみたいです。

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