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#179 『天命追求型の生き方・目標達成型の生き方』

本日は、ことほぎ代表取締役の白駒妃登美さんの「天命追求型の生き方・目標達成型の生き方」についてのお話です。白駒さんは、幼い頃から歴史や伝記の本を読んでいて、特に福沢諭吉に憧れて、慶應義塾大学に進学します。大学卒業後、日本航空の国際線CAとして勤務し、その後、企業の接遇研修講師や結婚コンサルタントとして活躍します。

今回のお話にも出てきますが、大病を患ったことをきっかけに、命と向き合い方や歴史上の偉人の生き方を紐解くなかで、日本人が生きていた「今を受け入れ、この瞬間に最善を尽くし、天命に運ばれていく」という天命追求型の生き方にシフトします。2012年に、株式会社ことほぎを設立し、日本の歴史は「志」のリレーであり、報恩感謝の歴史であることを伝える講演活動を行っています。

今回のお話は、天命追求型についてのお話で、歴史的偉人である豊臣秀吉を例に、その考え方や生き方について語られています。環境や身分は関係なく、いま自分ができることをやること。歴史の教科書では学ぶことのできない秀吉の姿も知ることができる刺激的なお話でした。

"大病を患い、絶望の淵に立たされた私は、発病前に読んだ話を思い出しました。人間の生き方には西洋の成功哲学に代表される「目標達成型」とは別に「天命追求型」があるというのです。天命追求型とは将来の目標に縛られることなく、自分の周囲の人との笑顔を何よりも優先しながら、いま、自分の置かれた環境でベストを尽くす。それを続けていくと、天命に運ばれ、いつしか自分では予想もしなかった高みに到達するという考え方です。そこでは、自分の夢だけを叶えるfor meより、周囲に喜びや笑顔を与えるfor youの精神、つまり志が優先されます。"
"天命追求型、目標達成型という視点から歴史を紐解くと、天命追求型はまさに日本人が歴史の中で培った素晴らしい生き方であることに、私は気づきました。そして私自身も目標達成型から生き方をシフトし、天命に運ばれていくうちに、奇跡的に病状が快復したのです。"
"天命追求型に生きた歴史上の人物といえば、豊臣秀吉はその好例でしょう。秀吉は徳川家康、織田信長と比べて大きく違う点があります。家康や信長が殿様を父に持ったのに対し、秀吉は農家に生まれたことです。農民の子の秀吉が最初から天下統一を夢見たでしょうか。通説によると、秀吉は「侍になるために織田家の門を叩いた」ということになっていますから、おそらく若き日の秀吉は、天下を取ることなど考えてもいなかったに違いありません。しかし、秀吉の人生はその夢を遥かに超えてしまったのです。"
"秀吉は最初、信長に''小者''という雑用の仕事で仕えました。雑用係は、もちろん侍の身分ではありません。けれども、信長が秀吉を雇い入れた時、きっと秀吉は、農民の自分に目をかけてもらえたことに胸を躍らせ、心から感謝したのではないでしょうか。だからこそ、たとえ雑用係の仕事にも自分でできる工夫を施したのだと思います。寒い日の朝、信長の草履を懐に入れて温めてから出した話は有名ですが、草履一つ出すにも喜んでもらえるようアイデアを加えたのです。やがて足軽となってからも信長を喜ばせたいという思いは変わらず、一層の信頼を得て侍に、さらに侍大将に、近江国・長浜城の城持ち大名へと登り詰めるのです。"
"過去の自分を振り返ると、西洋の成功哲学に刺激を受け、目標達成に突っ走っていた頃、確かに夢は叶いました。受験勉強、就職活動、子育て、すべてにビジョンを描き目標を立ててやってきました。しかし、見方を変えれば夢しか叶わなかったのです。夢を超えた現実はやってきませんでした。では、秀吉はなぜ夢を超えることができたのでしょうか。想像するに、秀吉は最初から天下取りなど考えず、いつも''いま、ここ''に全力投球する生き方を貫いたからだと思います。自分の身の回りの人たちに喜んでもらえることを精いっぱいやっていった。その結果、周囲の応援を得て次々と人生の扉が開き、天下人へと運ばれていったのではないでしょうか。まさに天命追求型の人生だったのです。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/06/28『天命追求型の生き方・目標達成型の生き方』
白駒妃登美 ことほぎ代表取締役
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※Image by Ditto Shafarnahariy from Pixabay