見出し画像

#269 『不満に思うか、ありがたいと乗り越えるか』

本日は、北海道日本ハムファイターズ監督の栗山英樹さんの「不満に思うか、ありがたいと乗り越えるか」についてのお話です。栗山さんは、昭和59年に東京学芸大学を卒業後、ヤクルトスワローズに入団します。選手としては、平成元年にゴールデン・クラブ賞受賞しました。翌年に現役を引退してからは、野球解説者として活動します。

平成24年に北海道日本ハムファイターズ監督に就任し、就任1年目でチームをリーグ優勝に導き、4年後には日本一に導きました。今回のお話は、現役時代の2軍監督内藤さんから学んだことが語られています。

"僕は現役の選手時代、一人前になりたいという思いでとても強かったのですが、成功できないまま29歳で引退しました。選手として才能が発揮できなかった分、その後は野球解説などマスコミの仕事にがむしゃらに打ち込むようになったんです。最後の3年間、「熱闘甲子園」という番組を担当した時も、とにかく必死でした。この年齢になって、高校球児に関わらせてもらうことへの意味を感じ、高校生たちに敬語を使って取材をする中で出会ったのが当時高校1年生だった大谷翔平であり、彼を育てた花巻東高校関東の佐々木洋さんだったんです。この縁がなかったら、彼はファイターズに来てくれなかったかもしれませんね"
"僕は本当に野球が好きなので、北海道に自分で野球場をつくったりもしました。「何でそんなことをしているのですか」と揶揄されながらも、自ら種を蒔いて子供たちのための天然芝の球場をつくりました。思わぬ監督のオファーが来たのも、そうやって必死になっている姿を神様を見ていてくださったからではないか、と思うことがあります。考えてみれば、苦しい時にそれを不満に思うか、ありがたいと思って乗り越えるか。この二つの違いは実に大きいですね。"
"僕自身、ダメな選手だった時に、ある人によって助けられた思い出があります。入団した年、優秀な二軍選手が何人もいる中で、テスト生の僕は誰からも相手にされませんでした。しかし、二軍監督の内藤博文さんだけは練習が終わると「栗、やろうか」とノックを打ってくれたり、ボールを投げてくれたり、いつも練習に付き合ってくださったんですね。...さらに落ち込んでいる僕に内藤さんは「栗、人と比べるな」とひと言声を掛けてくださったんです。「俺は、おまえが少しだけでも野球が上手くなってくれたら、それで満足なんだ」と。"
"内藤さんが亡くなる前年、ある喫茶店でやっとお会いできた時、体調を崩されていた内藤さんが、近くにあった箒を持って監督になっていた僕に野球を教えるんですよ。あまり言葉になっていませんでしたが、「内藤さん、俺のことをまたずっと心配してくれていたんだ」と思ったら涙が出てきちゃって・・。そういう人と出会えて指導者としての基礎をつくっていただいたことは、まさに幸運だったと思っています。"

 
※栗山さんの他のお話はこちら


============
書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/09/26 『不満に思うか、ありがたいと乗り越えるか』
栗山英樹 北海道日本ハムファイターズ監督
============

※Photo by Guilherme Stecanella on Unsplash