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#15 『あかあかと通る一本の道』

"(坂村)真民先生は毎晩唱えるお祈りの言葉がある、とおっしゃいました。それは大無量寿経の嘆仏偈の中の言葉です。「我行精進、忍終不悔」(わが行は精進して忍んで終に悔いじ)。修行に完成はない。修行して修行して、この道をあくまでも歩み続ける。そのことに悔いなどあろうはずがない。それこそが生きるということなのだ。"


本日は、精神科医でエッセイストでもあった、齋藤茂太さんの生き方に関するお話です。wikipediaによると、齋藤さんは日本精神病院協会(現在の日本精神科病院協会)名誉会長を勤め、会長として発足した日本旅行作家協会では、斎藤さんが亡くなった後の2016年に、「斎藤さんの功績をたたえ、またその志を引き継ぐ」という趣旨で、旅にかかわる優れた著作を表彰する「斎藤茂太賞」が創設されました。

医師としてたくさんの患者と向き合ってきた経験や、いろんな場所を旅したり訪れた経験から感じてきたこと、そして、仏教詩人である坂村真民さんから受けた言葉は非常に深みがあると感じました。

修行の道に終わりなどはない、その道を歩み続けることが人生である。その一本の道を貫く考え方は、プロとして仕事をする上で必要な考え方であると感じました。プロとアマの違いは、"愚直に"その道を歩み続けているかどうかであるのだと思います。

私の好きなスポーツ選手である、元メジャーリーガーのイチローさんは「愚直の天才」であると思います。人より何倍も多い練習量や情報収集から見えてきたルーティンワーク。日々、改善改良をしながら、毎日決められたルーティンを愚直に行うことで、野球界であそこまでの高みにたどり着いた人であります。

"詩人になるために詩を書くのではない、自己を成熟させるために詩を書くのだ"

イチローさんも同じ考え方であったと思います。一流のプロ野球選手になるため、一流のメジャーリーガーになるために練習やルーティンをしていたわけではないと思います。己の肉体、精神、技術、人間性、それらを高めるために野球に打ち込んでいたのだと思います。

人は何か輝くものやかっこいいものにどうしても憧れを持ちます。しかし、その状態はある意味、目的を見失っているのではないかと思います。何者になるかは自分で決めることではなく相手が決めることであるし、自分が今できることを続ける先に、相手にとってベネフィットとなる価値があるのだと思います。

その価値を生み出すためには、自分を常に高めていく意識、一つのことを貫いく姿勢が大切です。それこそ、愚直に生きることですし、愚直に挑戦することなのだと思います。以下はお話にあった、齋藤さんの父の歌の一首と意味になります。

"あかあかと一本の道とほりたり
たまきはる我が命なりけり"
"これは数ある父の歌の中で私が一番好きな一首ですが、これは父茂吉が医業や病院経営など煩雑な生業があろうと、自分はあかあか通る一本の道、歌の道に生きるのだと思い定めた決定心の歌なのだ、と改めて思うのです。"


何事も中途半端で終わってしまうより、一つのことを貫き通す方がかっこいいと多くの人が思います。そして、貫き方は十人十色であると思います。一人ひとり、貫くものも、貫く方法も異なっていいわけです。何をもって貫くと定義するかは自分で決めればいいのだと思います。

その上で、自分が何者であるかは関わる相手が決めてくれるものです。お話に登場した真民さんも、齋藤さんのお父さんも、このお話の話し手である齋藤茂太さんが言葉にしたことで、初めて一本の道を貫いた人であると証言・証明されたわけです。

"真民先生の己を極める愚直な生きざまはまぶしいほどに輝いています。父茂吉もまた、愚直に歌の道を貫いて重みのある輝きを備えることができました。"


「我行精進、忍終不悔」という言葉を常に心の中にもち、途中で迷うことや悩むことがあったとしても、自分の目の前にあること、やるべきことを愚直にやり続けたいと思います!


1/12のお話であった本田宗一郎さんは、

"私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある"


1/13のお話であった山中伸弥さんは、

"9回失敗しないと、なかなか1回の成功が手に入らない"


とそれぞれ名言を残しています。これも「あかあかと通る一本の道」であると思いました。自分の現在地や目的地を確かめたり、見直したりすることができるお話でした。


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/01/15 『あかあかと通る一本の道』
齋藤茂太 精神科医
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※Image by Jim Semonik from Pixabay