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#120 『始めあらざるなし、克く終りある鮮し』

本日は、論語普及会学監の伊與田覺さんの「始めあらざるなし、克く終りある鮮し」についてのお話です。伊與田さんは、学生時代から安岡正篤先生に師事し、論語精神の普及活動を行っている方です。安岡先生と言えば、4/25の回で登場した思想家で、「平成」の元号の考案者であり、多くの著名人や財界人などに影響を及ぼした方であります。

今回のお話は、伊與田さんが安岡先生から学んだことや先生の姿勢を中心に書かれています。「始めあらざるなし、克く終りある鮮し」という言葉には、一貫した態度で継続することの大切さを感じることができました。

"私自身の人生を振り返ると、昭和10年、数えで20歳の時に安岡正篤先生という大人と出会うことができたのは、とても大きな出来事でした。安岡先生との邂逅に加えて、『論語』をはじめとする古典を学び続けてきたおかげで、終戦の時に受けたとてつもない精神的打撃を克服し、また目の前の様々な現象に振り回されることなく今日まで歩んでこられたことは、この上ない幸せです。"
"人は誰でも老いると体力的には衰えますが、逆に長年蓄積した経験によって人間的な旨みが出てまいります。そこで個人的な利害を超えて活動を続けたなら、周囲の尊敬を集めながら一廉のことを成し得るでしょう。生きている以上、使命感を抱いて努力し続けることが何より尊いと思うのです。我が師・安岡正篤は、まさしくそういう姿勢を終生貫かれた方でした。"
"ある時、先生から言われたことがあります。「君は僕の形骸を学んではいけない。僕は孔子の求めたものを求めて学んだ。君は僕の求めたものを求めて学べ」この言葉は終生私を導く指針となりました。"
"安岡先生が求めたものは何だったでしょうか。『詩経』に、「始めあらざるなし、克く終りある鮮し」とあります。何事も初めはともかくやっていくが、それを終わりまで全うする人は少ない。すなわち、終わりまで全うすることの大切さを説いた言葉です。まさにその言葉のごとく、安岡先生はどこまでも一貫して自己の完成に向かって、その生涯を歩み続けられました。"
"私もその安岡先生の姿勢に倣い、及ぼすながら命ある限り、日に新た、日々に新たに精進を続ける覚悟です。その一貫した道のりの末に、最も完熟した品格を備えて息を引き取りたい。そう切に念じているこの頃であります。"


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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/04/30 『始めあらざるなし、克く終りある鮮し』
伊與田覺 論語普及会学監
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※Image by Three-shots from Pixabay