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#342 『生かされている実感』

本日は、エッセイストの大石邦子さんの「生かされている実感」についてのお話です。

"私の身体が萎えたまま一生回復しないことを百も承知している父は、同じ言葉を繰り返す以外に、私への愛情を表現する方法を知らなかったのでしょう。あとで聞くと、父は帰りには必ず看護婦詰所(当時は”看護婦”でした)に寄り、「お願いします」「頼みます」と、これも同じことを繰り返して、
何度も頭を下げたそうです。"
"私は愚かで、小さな人間です。命というもの、生きるということに目を見開いていくには、一歩前に出て半歩引き下がるような歩みをするしかありませんでした。こんなことがありました。病室で二度目の春を過ごして迎えた春だったでしょうか。会津若松には名所の鶴ヶ城があり、春には3000本のソメイヨシノが咲き誇って花見客で賑わいます。その夜も窓の向こうは夜桜見物でざわめいていました。それを全身で感じているうちに孤独感がこみ上げ、私は堪らなくなって大声で叫び、手当たり次第に物を投げつけていました。"
"看護婦さんが駆けつけました。私と同い年の看護婦さんでした。彼女は黙って私に近づきました。私は彼女に物を投げつけ、投げる物がなくなると
彼女のカーディガンをつかみ、胸を叩き、泣き叫びました。それでも彼女は黙ってじっとしていました。...私をタオルケットで包み、おんぶして、彼女は階段を一歩一歩下りてゆきました。彼女の背中の温かみが伝わってきて、麻痺した体が溶けていくようでした。ああ、この人は私の苦しみも悲しみも一緒に背負ってくれている ー その思いがこみ上げてきました。"
"彼女は私の半身不随という病気を見ているのではなく、病気を背負った私という人間を見ていてくれるのだ、病気を背負った私という人間を見ていてくれるのだ、と思いました。私は一人ではないと思いました。両親をはじめ、たくさんの顔が浮かんできました。自分はどんなに多くの人に支えられているかを痛いように感じました。私は生きているのではない、多くの命の絆に結ばれて、生かされているのだ。素直にそう思えました。"

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書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』
2021/12/08 『生かされている実感』
大石邦子 エッセイスト
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※Photo by J Lee on Unsplash