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過去の自分を貶めない

知識であったり精神であったり人生であったり、対象はなんでもいいんですけど。
何かを探求していると自分はどんどん知見を広げていくように感じるので、過去の自分が劣っているように見えることがあります。

でも、わたしは生きるうえですごく気を付けたいと思っていることがあります。
それはね、どんなに成長したとしても、どんなに知見が広がったとしても、過去の自分を貶めないということです。過去の自分を劣ったものだと見なしたり、さげすんだりしないということです。

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たしかに、自分の過去は恥ずかしい。笑
穴掘って埋まりたいほど恥ずかしいことはたくさんあるし、勉強不足だったなって思うこともたくさんあるし、今だったらそういう発言もしないだろうとか、そういう発想には至らないだろうとか、そういう過去はたくさんあります。

でもそれはね、過去の自分が劣っているから起きたことではないんです。
今思えば恥ずかしく感じるけれども、それは今のほうが秀でていて過去のほうが劣っているというわけではないんです。

わかりやすく説明するのはとっても難しいんですが。

わたしね、すこしいろいろな認識が進み始めたくらいのときが一番、危うかったです。いろいろわかり始めたような気がして、今の自分が何か「秀でている」ように思えて、過去の自分をあざ笑ったりさげすんだりした。
それってね、何が危ないって、「過去の自分と同じところにいるように見える、認識がすすんでいないように見える人」に対して、同じことをしてしまうんです。自分は秀でていて、そうでない人は劣っている、という錯覚を起こしてしまう。

本当はね、認識が進んでいるも何もないです。点です。どの点を先に知ったかです。違う位置からスタートしていることもある。
わたし、すごくパリピな友人がいるんですけど、むかし「あの子は能天気で何にもわかってないな」って思ってました。むこうは「あおこはセンシティブすぎて大事なこと見落としてんじゃねぇの」って思ってました。お互い、最初は世界の認識がほぼ真逆だったんです。見えている点が、まるでかぶってなかった。でも、何年かたって、お互いにいろんな道を歩んだら、お互いの認識が一致したことがあったんですよね。

「能天気で何にもわかってない」って思ってたパリピな友人が言ってたことが、自分の人生とつながったり。「センシティブすぎて大事なこと見えてないんじゃないの」って思ってたあおこの言ってたことが、パリピな自分の人生とつながったり。

人はなぜだか不思議な勘違いをしがちです。
「相手より自分のほうが”よくわかっているだろう”と思いこみやすい」です。世界のすべてを知ったわけでもないのに、「自分のほうが相手よりもよくわかっている」って思いがちです。
すべてを知っているわけではないんです、世界の点。だからこそ本当は、相手に見えているものが理解できないだけなのかもしれない。相手がすでに当たり前のように持っている点に、わたしは出会ってきていないことだってある。

すべての人がおなじ道のレベル1からはじまると思うから、過去の自分が劣ったように感じる。過去の自分がいた場所が「劣った場所」に思える。今の自分の認識が欠けている人を見ると、過去の自分に重ねて「今の自分よりも下」に見える。

でもそうではない。すべての人が同じ基礎から始めて同じ場所を通ってレベルアップするわけではない。
わたしがレベル100くらいになってようやく気付いて習得する観念を、パリピな友人はレベル2くらいであたりまえのように習得していたりする。逆もしかり。生きているとその辺の順番は、ぐっちゃぐちゃ。笑
無限に散らばっている点を、各々がそれぞれに、他人から見たら意味不明な順序で拾い集めている。

過去の自分をあざ笑うということは。過去の自分を貶めるということは。
同じところにいるように見える人のことを同時にあざ笑っていて、同じところにいるように見える人のことを同時に貶めているんです。同じところにいるように見える人のことを同時に、すごくすごく「下に見ている」。

たとえ自分ならレベル100のときにしか拾えない点をすでに相手が持っていたとしても、自分がレベル2のときにいた場所で相手が点を拾っているのを見たら、すごくすごく「下」に見えてしまうんです。

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何事もね、すこしわかり始めたときが一番危ういなっていうのは体感であります。わかり始めた自分が、ちょっと特別に見えるから。そこに優越感があり、そこに「何かを下に見ようとする目」が生まれる。

でも本来、みんなね、対等なんです。本当は。誰が上だとか、誰が下だとか、ない。
もちろんできることに差はあるかもしれないけれど、それによって貶められてよい人なんてどこにもいません。あざ笑われるのが当然だなんていうことは断じてありません。

自分が上なのでもなく、自分が下なのでもなく、みんな対等。
一瞬レベル1に見えたあの子は、わたしにとってのレベル1と5と300の観念を同時に持っていることもある。一瞬レベル400に見えたあの人だって、わたしにとってのレベル5の観念を、まだ習得していない可能性もある。

だからこそ、どんな他人も優劣や上下で見ることなく、常に敬意をもってまっさらな目で見ていたいと思うのです。
あらゆることを受け止めて、あらゆることに敬意をもって。


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ま、世界の点が完全に全部見えることなんて、生きてる限りないです。
人間として生きてるうちはね。だって欠けが美しいんだから。われわれは。欠けがなくなったら、きっと消滅する。しらないけど。笑

すごくていねいに表現したかったのに、全然うまく表現できなかった。今日の記事。
でもね、これだけは言いたい。人間は優劣じゃないです。過去と今と未来も、優劣じゃないです。

わたし、太字使うのすごくめずらしいね。でもそれくらい、これは強く思っていること。端的に言えば、今日の記事のエッセンスはそれだけ。笑



最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡