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「わたしらしさ」は、握りしめるものじゃなくて

人間って、何をもって「その人である」って決まっているんでしょう。
みんな、自分のこと「自分」って思っていると思うんですけど。当たり前ながら。

むかし、哲学を専攻していたころ、これはテーマとしてかなりメジャーでした。哲学ってなじみのない人には「役に立たなそう」って思われることが多いんですが笑、結構現代の医療倫理とかにも密接な問題で。当たり前のように移植手術が行われるけど、どこからどこまでの移植が「その人でいられるラインなのか」とか。

肉体と精神って、どうやって紐づいているのか、とか。
人間ってわからないことだらけですね、今も昔も。

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それでね、当たり前のように自分のこと「自分」って思っているわたしたちですが、びっくりするほど自分が変化すること、ありませんか。

なにかをきっかけにして、認識が180度変わっちゃった経験とか。
好きで好きでたまらなかったものが、一瞬にして大嫌いになった経験とか。
大嫌いでたまらなかったものが、知らないうちに愛してやまないものになっていた経験とか。

もう、中身はすっかり入れ替わったんじゃないか? って思うような精神の変化があっても、わたしたちは自分のこと「自分だ」って認識するんですよね。おもしろいことに。

わたしたちの精神性って、保存がきかない。
常に最新の自分を更新し続けている。認識なんて、アハ体験みたいに、一度変わっちゃったらもう昔の認識に戻れない気がすることだってある。

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なのに、わたしたちは「自分らしさ」って、過去の集積のことだと思っている。思ってませんか。「自分らしさ」っていうのは、過去に自分がとってきた行動や選択してきたことの集まりだ、って。

わたしはよくあるんです。
これから好きなように選べることに対して、「こっちのほうがわたしっぽいかな」っていう選び方をしてしまうこと。「わたしだったら、こっちを選びそうかな」って。びっくりするほど、過去の自分を見ながら。笑

でもさ、わたしらしさって、「今の自分」のことなんじゃないの?

精神性は保存がきかない。ずーっとわたしは変わり続けている。だから、わたしは「今のわたし」でしかない。
だから、わたしらしさっていうのは、「今のわたしが選ぶほう」のことなんじゃないか?

過去の自分にとらわれることなく、今選びたいものを選んだら、それがわたしらしさになる。

当たり前だけど、「今のわたし」は「わたしらしさ」の最先端なんですよね。最先端を走ってる。誰に遠慮する必要もない。過去の自分に遠慮する必要なんて、まったくない。
今のわたしが、どんどんわたしらしさを作っていくわけだから。

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別にね、いままでそうめんばっかり食べてたわたしがいきなり豚骨ラーメン食べたっていいんですよ。
もしかしたら豚骨ラーメンのおいしさに開眼して、数年後には豚骨ラーメンライターになってるかもしれない。「あおこっていったら豚骨だよね」という「わたしらしさ」が出来上がっているかもしれない。
まあ、やっぱりそうめんのほうがいいなって思うかもしれないけど。そしたらまた、そうめん食べればいいんです。

自分自身への固定観念や先入観で、自分の選択を縛らなくていいんだと思います。過去から続く惰性で選び続けてきたことに、ちょっと「待った」をかけてみる。意外といろんなことを惰性で選んでるだなってことに気付く、わたし。笑


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過去の自分をなぞる必要はない。わたしたちは「今の自分」であることで充分なんです。今のわたしは、自由に気ままに生きればいいんです。やりたいようにやったもんがちです。

握りしめてる「わたしらしさ」、ぽいって手放したいですね。
きっと新しいのが後ろからついてくるから。



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