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やっぱりわたしはスクショより手書きが好き

中学生の時から、1人でもコピー機を使えるようになったんじゃないかな。

それでもコピーより手写し。

スクショより手書きメモ。

どんなに世の中が便利になっても、わたしの人生からは「シャーペンでなにかを書く」ということは切り離せない気がする。


今日は、なんでわたしが手書きにこだわるのかをつらつら書いていこうと思う。


字を書くのが好きだった



小学4年生くらいからずっと書道教室に通っていたことがあり、わたしは人よりも文字に対するこだわりが強かったように感じる。まあ、最初は両親に字の汚さを怒られて無理やり入れられたんだけど。


そして、中学一年生までに準四段に上り詰めて、わたしの書道人生はあっけなく終了。それからも下敷きの裏に大好きなアーティスト(ZARD)の歌詞を書いたり、暇さえあればノートを書き直したり、毎日部活日記をつけていたりと、毎日毎日書きまくった。右手の小指のあたりが真っ黒になるまで毎日、書きまくった。


高校に入ってからも今度は生徒会日誌を書いて、プライベートの日記もつけて、必要に駆られて授業のノートも取ってと、右手が大忙しだった。


こんな風に学生時代、たくさんたくさん書いてきたものだから、わたしの右手はシャーペンを持っていないことが違和感で仕方ない右手になっていた。、、、ん?すると、好きだったからじゃなくて習慣化しちゃったからなのかな。まあ、そんなところだ。


好きが習慣化して、ペンで何かを書かないと頭に入ってこないようになってしまった。これが、いまでも手書きにこだわり続けている1つ目の理由。


100パーセントの感情で周りをほっこりさせたい



いま、この話を整理しておこうと思ったのは、この理由が1番大きいかもしれない。わたしは記憶のための手書きだけでなく、手紙も年賀状もイラスト付きのメッセージもすべて大好きだ。上の話と分けたのは、それに相手がいるかどうかという違いがあるから。


相手がいる場合の手書きは、また、意味が変わってくる。相手に何を伝えたいのか、どう感じてほしいのか、そういうわたしの思いが100パーセント反映されるからだ。


最近だとパート先でわたしはイラスト付きのメッセージを上司に渡すことにハマっている。(メッセージは毎回“〇〇業務完了しました”という内容)コミュニケーションの1つだと思っていたが、そのイラストがこの間お客さんにウケたらしい。

わたしのイラスト(暇つぶし)がわたしの手を離れても生きている感覚というものを感じてしまって、こりゃあ辞められないな!と勝手にうきうきしてしまった。

もちろんイラスト付きメッセージを受け取った上司も喜んでくれているし(と思ってる)、その上それをみたお客さんからも評判がいいと。

相手があってのメッセージをしっかり受け止めてもらえる、100パーセントのコミュニケーションが取れる。

これはLINEとかTwitterとかのデジタル文字では、なかなか実感することができないところだとわたしは感じている。筆圧、文字の丁寧さ、ペンの種類、いろんなところに感情を入れられること。これこそが、手書きの良さであり、わたしが手書きにこだわっている理由かな。



なんだか、手紙を書きたくなってきた夜。

皆さん、良い夜を。



彅野アン

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