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書いて生きても、いいですか

人に会いたくない。誰にも会いたくない。じれじれと、焦げるようにこの苦しい感覚は身に感じられている。毎日、毎日、寝ている間は忘れていて、起きている間、何かに没頭しているとき以外は、体感している。

かつて四郎が祖父から、友達を作らぬようにと言われていた小学生時代、四郎は紙の中で生きていた。
紙の中では生きられたので、いのちは今へとつながっている。

ぎゅうづめに身に詰め込まれた「峰の先祖返り」の奥の人の中でも、特に核となっている2人ぐらいは、もうタールのついた棒のようにかたまっている感じだ。
ご先祖さまの中にも、やはりタールのついた岩のようにかたまっていて、何を話しかけようが通じなさそうな感じのがいる気がする。説得だの、説諭だのが、通じなさそうな感じ。

「目か、耳か、指が、脳に通じていれば・・・本は、届くので」
活字か朗読か点字で、書いたものは届くので。書いたものに、タールのついた棒や岩のように身動きのとれないかたまりを溶かす工夫をのせて届けることができれば。
結局たった50人しか読者を持たぬ、マニアックすぎて偏りすぎて商業ベースには乗らぬ書きものかもしれない。

それでも、その人のところに届けることができれば。

自分の奥の、奥の奥のいちばん奥の、ただひとりに。

……そのような殊勝なことを思っていたのは、Wordファイルを開いて文字を打ち始める前までのことだった。
いつも、いつも、いったんキーボードに手が載ったら、書くシーンが自動書記のように作業されて、とめどなくその作業は時間を食って続いていった。
「誰かに届けるために書いている」ことも、「自分の治癒のために書いている」ことも、作業に入ったら忘れ果てている。
書いていないときには時折おもいだす、「根かぎり書きつづけろ。今でなければ、今でなければ書けないものなのだ」というあの戯作三昧のなかにあるであろう文章からエコーしてくる呼び声も。

書く作業にいちど没頭したら、忘れ果てている。そうして膨大な時間を食い散らかして、四郎は字を打つ。

***

「起承転結がわからん」四郎は何日目かのときに、途方にくれたように高橋にそう言った。

「わからなくていい、わからなくていいから思い浮かんだシーンの描写からしてごらん」高橋は、なぜだか”作業を途切れさせない”ことが唯一大事なことだ、と知っていた。
知っていて、作業を途切れさせないことだけを四郎が握りしめていられるように、そう答えた。

ある場面では、はたと状況がわからなくなって、「インタビューの必要がある」と思ってしまった四郎の、手が止まった。
四郎は画面を立ち上げたまま、こっちの部屋に歩いてきた。
「聞かなわからんでおしえて。奈々瀬、イチさんと竜翔くんの区別は、一瞥して一瞬でわかったやん。あの区別、どこでついたの」

質問されたとたん、奈々瀬はいいようのない嫌悪感にみぶるいした。
「うわー思い出したくもない!」奈々瀬は四郎にいやそうに小さくさけんだ。四郎はたじろいだ。「……ごめんえか」

出会った時、奈々瀬は追われていた……あの事件がなければ、奈々瀬と四郎は出会わなかったのだ。
天が会わせた、というならば、感謝をしていいのかもしれない。
だが、だが今はまだ、感謝できるほどの客観視は無理だった。

奈々瀬のなかで、おぞましい事件の当事者であったことは、まだ一向に消化できていなかった。
事件の衝撃を消化できないうちに、感謝もへったくれもない。

奈々瀬はそれでも、かろうじて四郎に言った。「想像で書いてもらえれば、大丈夫。別の場面や、別のことについてなら、聞き取りして。そのときは協力するから」
そばできいていた高橋が、奈々瀬にむかって微笑した。
どんなことがあっても作業が止まらないように……と、第一目的を四郎に語っていた、そのそばに奈々瀬もいたので、よくよく理解している。そのことがひたすら、ありがたかったのだ。

奈々瀬が答えられないどころか、向き合えない生々しい状況は、まだほかにもあちこちに散らばっていた。
四郎はなんどか、その地雷を踏んで傷口から血を流すような気持ちを奈々瀬に味わわせてしまい、自分がしでかした無神経な質問に憤るあまり、もう書くのをやめようかと思った、そんな衝撃と落胆に5回も6回も直面した。

絶望、という気はない。
こと原稿にかかわることについては、四郎にとっては「落胆」という表現が似つかわしい状態にすぎなかった。なぜならそこでは、虐待を受けつづけて逃げ場もなく睡眠も許されない仕置きの最中に、自分は置かれていないのだから。

「高橋」
ある夜、四郎は親友に電話をした。
「奈々瀬にいらんこと聞いてまった」
この電話をしたときだけは、四郎の中では、(もう筆を折ろう)という気持ちが8割がたを占めてはいた……

――僕が奈々ちゃんに、状況の聞き取りしとくから。なあ、書くの、いやになっちゃったか?
高橋は、そう尋ねた。

「そうやないけど、いちいち現実と照らし合わせてごちゃごちゃするの、もういややん」
――紙の中、想像の中だけで、完結させてみろよ、いったん。あとで直せばいいから。
「……わかった、そうやる」

電話を切った四郎は、なにかだいじなことを切り捨てたことを知った。
そうだ、奈々瀬の治癒を切り捨てて、自分の治癒に集中しろ、と高橋は今しがた言ったのだ。

すぐにリダイヤルした。電話に出た高橋に、四郎は怒りとも嘆きともつかぬものをぶつけた。
「高橋。なあて高橋。現実と照らし合わせしと、フィクションで書いたら、俺は俺のこと取り扱うけど、奈々瀬のこと置いてけぼりにして、奈々瀬があったことふりかえれんやん! 俺一人が助かって、奈々瀬見殺しやんか!」

人をつかみ殺しそうな迫力が、電話ごしにダイレクトに襲ってくる。それでも高橋は一切動揺しない。

――時期を変えろといっている。おちつけ、四郎、見殺しにする必要はない、同時に二人ともが助かる必要はない。

救助には、手順というものがある。

おまえ自身が助からなきゃあ、共倒れだ。
いいか、同時にやろうとするのは乱暴で、成功の可能性の低いことだ。
紙の中でしか生きられないことのメリットは、時間の同時性がないことだ。何度も、何度も、あとでそこに帰ってこればいいんだ。

先に自分を助けろ。自分が仕上がらなければ、自分の大事な人は助からないと思え。それが順序だ。

小さな子供のように、
「うん。そうやる」

と、四郎は答えて電話を切った。そしてまたファイルを立ち上げた。

***

半年ほどたったろうか。

「高橋、なあ高橋」
四郎はタイトルと本文がそれぞれ仕上がった原稿2作、「あしたの雪」「夏のともだち」の印刷を、うれしそうに持ってきた。

「まいにち、できたとこ読んでたが、頭からおわりまで印刷でだしてみると、結構なボリュームだな」
高橋は一枚一枚を、なつかしそうに読んだ。

「なあ高橋、俺、土田さんに言われたんやけど」
「なにを」
「原稿には名前書いとけ、てって言われた。俺、自分の名前、書けやへん。この書き物に自分の名前書くの、おそがい(怖い)」

「じゃあ文末になら、書けるかな。”嶺生四郎しるす”、って10.5ポイントのフォントで、最後尾に打ってみよう」
打てば響くように、高橋は案を出してくる。

すると、打てば響くように、四郎がその案を却下した。
「いやや、ぜったいいやや無理やて。樟濤館(しょうとうかん)の名前も親父のこともご先祖さまのことも、みんな正直に書いてまったあーー」

四郎は自分で言いながら愕然としていた。なんだ、この、意気地のない、くにゃくにゃとした泣き言の数々は。

「高橋、ごめん、俺いま信じれんくらい、くにゃくにゃ、ぐちゃぐちゃ、泣き言いっとる……こんな自分いややあーー」

高橋は、四郎の言葉を聞いたそのとたん、つきものが落ちたように、ある部分の悟りをひらいた気分をあじわった。

嶺生四郎のりりしさ、というものは、自分の本当のきぶんの数々を、封殺してつっきってしまう凛々しさなのだ! その奥で、本当の気持ち本当の迷いを、いちいち丁寧に感じてしまうと、本当はこうなのだ!

四郎の英雄らしさへの憧憬が、すっこーーーーん! と気持ちのいい無音の音をたてて、高橋の中から崩れ抜け果てた。
ひたすら少年のあこがれに身を焦がしていたそれまでの長い瞬間・瞬間の集積から、高橋は一気に脱皮した気分だった。

――こいつは、僕の生涯一人の親友は、うわはは・あははは、ただのにんげんだ!!!!!!!
心の底からそんな風にさけびながら、高橋は頭のすみで、

――”快哉(かいさい)”という日本語は、ほんとうにあるんだなあ

なんてことを、考えていた。

快哉という日本語の実用例を、むちゃくちゃ気持ちよく味わいながらも、問題解決者・高橋照美は、瞬時に代案を出してきた。

「じゃあペンネーム」

***

ペンネーム!

四郎は高橋をまじまじと見た。
高橋は四郎をまじまじと見た。

こうして目の奥を見合うことができるのは、四郎にとっては高橋ひとりなのだ。ほかのものは全身を恐怖にからめとられ、四郎の目を正視することができない。

四郎は思った。
――高橋。高橋がともだちで、ほんとうによかった。

と。

――俺はこのひと以外のともだちを、ひとりも要らん……

心底、そう思った。

どれほどこの人の提案を却下し続けただろう。でも高橋は、それでいいという。

好きと嫌いが本当に瞬時にわかって、それは無理、と言える方が、自分に正直だということだから、ぜひ却下しろと。

そうやって大理石からダビデ像を削りだして救い出すように、嶺生四郎というものを混沌の中から削り出すのがいい、却下の数々はミケランジェロの「のみ(鑿)」だと。

親友のいうことをいちいち、無理…だの、だめ…だのいう自分が、ほとほと嫌いに思えていた四郎だった。そういわれても半信半疑ながら、高橋がまだ手をつないでいてくれる、とかろうじて理解できる言葉だった。

高橋のほうは却下の数々を、まったく気にしていなかった。それは高橋にとっては、自分の頭のなかにある数々のケーススタディでしかなくて、本当に四郎にフィットするかどうかは、試着室でTシャツを試着してみるように、四郎にあてて試さねばならぬものだからだ。好きか嫌いか、合うか合わぬか、らしいからしくないか、それこそ千も二千も。

ペンネーム。四郎は、ずっとずっとほしかった桃のジュースに、とうとう出会えたようなふるえるゴクリとした感じを、全身に感じた。

ペンネーム! ペンネーム!!

書いてもいいんだ、というよろこびが、四郎の全身を浸した。

***

「あの」耳を朱に染めうつむきながら、四郎はとんでもないことを言った。「高橋、お前の名前、俺のペンネームに貸して」
反射的に高橋は絶叫した、「うっそなにそれ!」

耳を朱に染めうつむきながら……高橋はまるで愛の告白をするかのごとく耳を赤くした親友から、<俺の代わりに地獄で1480年ぐらい刑期つとめてきて。血の池地獄と針の山と麻酔なしで解剖されながら毎日2回煮えた鉄飲むやつその他いろいろ>と言われたぐらい、全身に電流のような衝撃を食らった。

20秒ほど、たがいに相手の出方をさぐるような沈黙が2人をつつんだ。

ひとのなまえというものを
ひとのなまえというものを。

おまえ、どうするつもりなの。

まったく思考停止した高橋の脳内で、そんなことばが、詩のようにおどった。
春みたいなしあわせのなかで、こいつは人を殺してのける、先祖代々そういうやつだった。いま、おもいだした。

「・・・これ以上僕を有名にするなよ。それでなくても満身創痍だ」
「俺高橋に俺の運命ひっぱって開いてもらったなあてって思って。お前の名前でならもっと書けるなあてっておもって」

「・・・まあ、今のところ商業ベースにも乗ってないし、いいか・・・」高橋はちらりと、四郎を見た。「雅峰を貸せばいいの?」
「なんかな、高橋照美かして」
「本名じゃん! 僕の本名じゃん! 自分の名前出せなくってなんで僕の本名しゃあしゃあと使えるの。しかも、”なんかな”って何!!」高橋は本気で大声を出した。「それどういう真似!?卑怯でもヘタレでもいいって言ったけどさあ、それさあー」

「わからん、なんでと言われても。でもお前の本名、ええ名前やなてって俺思う。うわ自分でもひどいこと言っとるな俺」

ひどいという自覚はあるらしい。

「・・・ちょっと2、3日考えさせて。前向きに検討はするけれど、僕も今、かなり、衝撃うけてて、落ち着かないや。お前さいごにはうまくいきそうだからなー、そのときペンネームが高橋照美かー。うーん微妙だなー」
「あ、ほんと?さいごにはうまく行きそうな感じする?俺お前の名前で有名になるんやったら平気やん」

「うそだろ嘘にきまってますーー。インタビューとか人前に出れないに決まってますーー。平気とか言ってイメージわいてないだけですー」

***

……2日後、四郎は自分の原稿に、嬉々として「高橋照美」というペンネームを入れた。

2日。2日の間考えて、高橋は許可したのだ。

「おまえに、ぼくのほんみょうを、ぺんねーむに、つかわせて、やる」と。
「おまえにやる」と。

生涯ひとりの親友と決めた時、自分の命以外は、こいつに注ぎ込もうとおもった……高橋は、二日ほどその思い出のなかにいた。

おまえにやる、ということばを口にしたとき、まるで旧約聖書のなかの誰かさんが、旧約聖書のなかの誰かさんに、長子の資格をゆずってしまったより大きなものが、高橋の中からごそっと消えて四郎にわたったように、高橋には感じられた。
たとえていうなら、初恋の手児奈が処女をささげるより大きなものを、まるでさもたいしたものではないかのように、

……おまえに、やる

ぼうぜんと、高橋はそういった。

奥の人たちが、
――いのち、くれるんか
と、満足そうに舌なめずりをしたのが、ぼうぜんとしたままの高橋には、わかった。

「なあ高橋、なんか魂入った感じやなあ」
「僕は魂ごっそり抜かれた気分だよ四郎」
「ごめんえか、俺勝手言ってごめんえか」

「・・・まあ、こうしたいという意向を言ってくれたのは評価するよ。
”どんな打ち手でもいい、プロセスを次に進めろ” と言ったのは、僕だからな」

そして高橋は、その日ずっと、まるで”写真に写ると魂を抜かれる”と聞いた直後に写真に写ってしまった明治時代人のように、とことん元気がなかった。

……以上が、いまこの原稿に、「高橋照美」という署名がついている経緯だ……。

***

原稿を、出版をよく知っている人に、見てもらったことがある。時期尚早だとは思ったが、機会があったのでそれに乗った。
酷評されるだろうが、それでも現在地を知る上では悪くはない。高橋はそう思っていた。

四郎は死刑判決に黙って頭を下げている被告のように、座っていた。

「文章、誰かにちゃんと習ったことあります?」
「ないです」
「文末や文の運びに違和感があります。ちゃんと習ったほうがいいかもな」
「はい」

そのやりとりだけだったという。
話を聞いて、高橋は言った。

「いいんだ、いったん、それで書け。書き終わって2-3年寝かせて、編集構成できそうになったら、そのときやっと、書き直せばいい」

四郎は、しょんぼりと報告した声のまま、顔をあげた。

「え、ほんでも」

高橋は言った。
「僕は“今世の中に出回っている物語”を教える師匠にうっかり師事することで、お前が“今世の中にはないもの”を“誰も書かなかった書き方”で書こうとしている、その仕事そのものを台無しにするほうがこわい、そっちのほうがはるかにこわい」

「どういうこと・・・俺自分で何やっとるか説明できやへんで、もうちょっとどういうことか知りたい」

「お前が書いてるのはたぶん、今までの物語じゃない、物語の範疇には入るだろうが、これからの物語というか、二度とない物語というか、なにかなんだよ。僕が描いてるのが、今までのただの絵じゃないように。そこはいい?」
「ようわからんもんやけど、なにが出てくるかわからん感じやで、そうかもしれん」
高橋はつづけた。

「自己治癒のための自動書記のような物語と、他人に読ませるエンターテイメントが、リズムも構成も何から何まで違うのは、そりゃ、あったりまえな話だろ? 目指すところが違ってるんだから、今の段階で、現時点でとりかかる作業じゃあない。おまえが癒えて、さて他人様のために書き直そうかな、という段階に至ってから、容れればいいアドバイスだ。今ではなくて、将来において採用する一言だよ、それは」

四郎は口を引き結んで、高橋の言うことを聞いていた。

「僕には絵の師匠がいて、僕にあった絵を教えてくれたから、僕は自分の工夫だけで、バチッと決まる画面のうしろに山河草木悉皆成仏を仕込んでおけた。僕には店舗コンサルティングを教えてくれるエグコンがいて、彼が僕を連れまわして仕事を教えてくれてるから、僕は清潔清掃しつけ整理整頓という波動調整を絵に仕込む、ということを、試してられる。これは、師匠がいるといいケース。そこもOK?」
「うん、ようわかる」

「僕はお前と違って、師匠運はいい。だがお前は、おじいさんといい、徹さんといい、宮垣のくそじじいといい、師匠運に少しだけ疑惑があるんだ。ニュアンスでしか言えないんだが、感じ取ってもらえるかな」
「それ、すっごいようわかる・・・」四郎は笑うしかなかった。

「今の時点で、うっかりしたやつに師事したらば、お前の、目論見が台無しになるような教え方をされたらかなわない。紙の中で生きることで紙の外でも生きられるようにする、という目論見。あれが台無しになったら、元も子もない。僕が懸念するのは、そこだ」

「そうか」四郎はうなずいた。同意。なんとなく同意。

「だからむしろお前は、僕がやりたくてできなかったことをやれ」

四郎は、意外な言葉に、高橋の顔を見上げた。
「高橋なにがやりたかったの」

高橋は八重歯を見せて笑った。「成算もないのにやってみちゃうこと」
「えっ、それ俺の悪いくせやん」
「うまくやることを無意識に考えてしまう人間にとっては、うらやましい冒険なんだよ」高橋は、ちょっとだけ切なそうにして、それでも笑顔でいた。

「うわー、ひとごとやと思ってうらやましがりよるわ!」四郎はやるせない声を出した。「当事者になってみい、八方ふさがりにしか思えんて」
「そのための親友がそばにいるだろ。むごいヒーローズジャーニ-を越えてこられるお前だ。僕が手をつないでる、やってごらん」
「言うのは3秒やて・・・」四郎の声は際限なくしぼんでいった。

「落ち着くように、せめてハグでもしましょうか」要らんだろうな、とは思ったが、高橋は念のために聞いてみた。
固く遠慮しておきます。男はまっぴらごめんです。

「お前のスタートはすごいぞ。はじめからうまくやる方法がいっこもわからない。構造図も書けない。人物相関図さえかけない。起承転結の下ごしらえもできない。ただ思い浮かんだシーンから書きつづけるのみ、ほかのスキルは一切なし。20万字書くのに40万字を打ち込んで、20万字を消す。たよりは自分自身と、紙の中でなら生きられた体験と、ママ・グランデの写真が言った“あら、あんたおもしろいもの書くのね”という言葉のみ」

「たまらん・・・」四郎は胴体をつかみしめた。そしてふと言った。

「俺、おれな。物語、書いとらへんかったら、やっぱり自分のやっとること、よう説明せえへん」

たまらない。けれどやるしかない。そんな気分が、なんとなく四郎から高橋につたわっていった。

「説明できなくても6作ぐらい上がったら、何をしているかは、その作品自らが語るだろう。お前は、読む前より自分の中の何かがはずれて生きやすくなっている書きものを書こうとしている。商業ベースに乗ることも目指さず、物語を生みだすこともめざさず。言ってみれば、いきなりノーベル文学賞のいう、『人類に役立ち理想に満ち争いを防ぐ』をめあてにしちゃったようなもんを、じぶんひとりだけのために、書こうとしているんだ。

心の内側を、読む前より平和にしようとしちゃってるんだからね?

人の中で、楽にもっと楽しんで生きられるようになりたいと思っている自分自身に、それを届けようとしている。

届くか届かないかさえわからないのに、やってみようとしちゃってるんだよ」

「うわあ! 言うのは3秒やん!」
もはや、泣き言にしかきこえない。

***

あのときから、もう2年ちかくたった。
我々は、2017年の6月にnoteにたどりついた。

ここは本当に、すてきな、素敵な発表の場だった。

今年の1月、高橋は親戚を助けに行ってしまった……。

四郎は思う。 高橋の淹れたうまいコーヒーが、もう一度飲みたい、と。
高橋は思う。 四郎の淹れた、へたくそな薄ぬるーいコーヒーを、もう一度のみたいな、と。

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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!