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なくした初恋を拾ってくれた人。--成長小説・秋の月、風の夜(7)

好きの感覚が、どうやら四郎に対してと、高橋に対してとでは違う。しかも二人に対して、それぞれある。

ややこしい。いや……切実すぎて、ややこしいどころの表現ではおさまらない。

冬から夏まで、奈々瀬の中には、ミルク色と灰色の混ざった冬の空のようすと、午後四時の市街放送の音とがぽっかり居座っていた。それが何なのかが、ずっとわからなかった。
「どうして四郎……さん……を気にしていたのだか、わからない」という感覚だけが、すとんと残っていた。

そこにあった本当の気持ちは、夏に急に戻ってきた……つい先日、高橋が四郎と奈々瀬に「手をつないでごらん」と言ってくれたおかげで。

「四郎を好き、恋しい」という気もちだった。

四郎があの冬、2人ともの気持ちを消して「なかったこと」にしたのだった。
そこには何もなくなっていた。恋しいようなさびしいような気もちが、ぎゅうっ……と、あったはずのところに、何もなくなった。そうして冬空の景色と市街放送の音が居座った。

ぽっかりとなくした、好きで恋しいという気もちは……ふたたび、奈々瀬のもとに戻ってきた。
コートの袖口をつまんだことや、手をつないだこと。四郎の肩にぎゅうっと両腕を回して、四郎が困っている感覚を何とかしようと無謀にも挑んだあげく、意識が飛んでしまったこと。四郎さんと呼んでいたとき、「さん、なしで、呼んでみて」と四郎に言われたこと……そんないろいろを思い出した。

そんな、消えていた初恋の思い出を、だいじだよね、なくしたくないよね、と言ってくれたひと。

うろうろと彷徨っていたら、話を聞くよ、道はこっちだよ、と教えてくれたひと。

年上で、仕事ができて、いつまでも見ていたい絵を描けて、女の人への接し方がうまくて、わるいひと。


あの冬。人殺しにおいかけられてへとへとになっていた奈々瀬を、さらにもう少しだけ歩かせるべく、四郎が「なぞってつない」でくれた……とき。ほかの人たちと違って奈々瀬は起きていられるから……四郎と同じ記憶を抱えてしまった。

その残酷さや狂気やグロテスクさに参っていたのを、父親の安春よりすばやく察知してくれたのが高橋だった。父には知られたくなかったから、それはとても助かった。

電話ごしに「ゴミを捨てるように、僕のほうへ捨てて」と言ってくれたひと。
延々と続く残酷で狂気じみたご先祖さまたちのことを、ただ、ただ、聞き続けてくれたひと。

安心させてくれるひと、安心させてくれるのに、知らないところへ、どんどん連れて行ってしまうひと。

……あのひとの中にある、何人かの女の人の記憶と同じように、軽口をたたきながら時折ふっと見せる厳しい表情に、見入っていたい。

――海へ行こうか。
――手をつなごうか。
――キスをしようか。
――キスより悪いこと、していい?

あのひとが、そうなるに決まっている、という……投げるような、ささやくような言葉づかいをするのが、とても、とてもよくわかる。
絡めとられて、めそめそ泣くようなことになってもかまわない。
想像だけで、身体情報読みの推測だけで、知り尽くしてしまっているそんなところへと、連れられていってしまいたい。

……どちらかひとりだけを、好きになったのなら、こんなに困らないのに。

奈々瀬は枕に顔をうずめた。
窓の外の濃い緑は、ざわっと風にあおられた。

季節が変わるたび、わくわくするものだと思っていた……こんなに惑うなんて、思ってもみなかった……



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マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介
比べられてる野郎二人の「ネタばれミーティング」はマガジン「高橋照美の小人閑居」



「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!