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クラッシャー宮垣、 登場。ーー成長小説・秋の月、風の夜(82)

話はさらに、朝イチにさかのぼる。

そもそも四郎が貸し出された先の、緊急火消し状態になっている校正原稿は、専門書単行本だ。
専門書は、特に編集工程と校正工程をわけて校正を二回り通すことで、見落としがないよう作業を進める。

治療家で武術家の宮垣耕造のその原稿は、急ぎにもかかわらず、一読して本当に楽しかった。

前回、三年前の単行本の校正レベルがひどかったらしいのだ。「正誤表」を入れて編集土田は顛末書を書いていた。

さきほど四郎をどなった土田は、朝イチ時点では初顔合わせだった。
雑誌の月刊二課から専門書三課の校正に貸し出されて挨拶した四郎に、土田は疲れた顔で、ぼそぼそ話した。
業務説明で、土田が四郎に「気が重い」ともらしたのは、今回が三年前の顛末書の挽回戦だからだった。

(ようまあ、次のチャンス、もらえたもんやな)と四郎が話を聞きながら思うほど、土田はいろいろやらかしていた。実は、ふつうはありえない再挑戦のチャンスをもらってしまったのだ。
社長の樫村譲(じょう)が、宮垣に土下座をしてまで仕事を取ってきたらしい。
正誤表を入れて顛末書を提出した土田にとっては、嬉しいどころか「拷問ふたたび」という感覚でしかなかろう。

四郎は、三年前の単行本をざっと見せてもらった。

ねんざや寝違えなどの故障が、どの神経や筋肉や腱がどういう状態になって起こるか。それは体幹や重心のどういうよじれや、首肩をどう固めてしまった結果の二次被害か。また、歩くとき足裏のアーチの前後はどう働くはずのところ、くじきや足首の故障が出るか。

宮垣はそういった事例にあたったとき、症状をしわよせ結果ととらえて、源流へとさかのぼる見立てかたを述べていた。
治療において、しわよせの結果はほぼ見ない、流れをたどって元を見る。構造なのか心因性なのかも見る。
破壊において、相手の強みをほぼ見ない、瞬時に流れをたどって、どの弱点を隠しての攻撃・特技かをさかのぼる。
人治しも人壊しも、スピーディーに明快にあたっていた。

ところどころ子供っぽいけれど、勢いと単純さが最大限に生かされている宮垣武闘・宮垣施術だ。その宮垣を助けて、体のことにうとく「クラッシャー宮垣」も知らぬ世代の読者との橋渡しで文をまとめるべきところ、有機的な人治しと人壊しの知識が浅いまま、本を仕上げた人間がジャマをしている。

……人ベースのはずの組み立てが、変に無機的によじれた本だ。
読者としての経験だけがいたずらに分厚い四郎には、そう感覚された。

巻末の宮垣の「著者近影」は、若々しくほがらかなようすだった。ちょっと昔すぎるのではないか、と四郎がいぶかしむほど。
クラッシャー宮垣の最強バトルDVDシリーズの宣伝と合わせて、全国の武術教室の案内がみごとに展開されていた。どこの会社の刊行本にも、たぶん同じように宣伝を入れてあるのだろう。

四郎がびっくりしたことには、単なる生徒募集にとどまらず、ちょっと経営に苦心している武術教室や整体院が、主宰の先生の良さを活かしながら宮垣武術・宮垣養生の看板を使ってテコ入れできる仕組みが、堂々と上手に書いてあった。
それぞれプライドも自負も野心もある武術家・施術家の心をつかむ、大きな器の人だなあ、と感心するやりようだった。

宮垣の「人を治す / 壊すには、どこをどうすれば決定打か?」という観点と、「読者が何かに困って瞬時に本を手引きにするには、情報をどう置いてあげれば、直感的に便利に使えるだろう?」という観点とは、非常に似ていて、かつずれている。

そのずれを誰ひとり見抜いていないため、正体のわからないスッキリしない混乱が積もっていったらしい。

正誤表の箇所には、よく似たにおいがあった。
「体への興味を持ち、立体的に理解せよ」とのテーマをもてあます感じ。人体の動きや組み立ての知見が足りないがゆえの見逃しや曖昧ミス。それらが、さまざまなところに起こっていた。

知識の薄さから、章立て、筋運び、説明の提示順乱れを解消できなかった。そこでオーバーフローして、誤字脱字も直しきらなかった。前回単行本のそういった反省点を、今回も克服していなかった。

体軸とは。重心とは。骨格の相似相同とは。筋肉の起始停止とは。臓器ごとの機能と連携とは。部位ごとの説明のあるべき流れは。そんなこんなを楽しんでがっつり学べるとしたら、相当変わったマニアだ。

現代日本の企業人、しかも治療家でも武術家でもない人間がこのたぐいの本の編集校正に挑んだって、わかりきれというのは酷だ。

四郎はといえば、好き嫌いをうんぬんできる以前にそれらをしつけこまれてしまっている。祖父から、二歳で稽古のはじめ、三歳で切腹作法、あとは延々と朝四時半起床の早朝稽古に、高校生以降の夜稽古はときに零時半まで。いまや父とおじとが持て余す技量。伝書の読み解きをしながらの故障手当て、図解と体の仕組み本は家に二十冊。そういう体の理法の訓練があるからこそ、四郎は一読して、通らぬ箇所に目がすいつく。

四郎は続いて、宮垣が大手出版社から出した別の本を三冊ほど土田に借りて、目次から当たってみた。自社本とは目次の質が違っていて、「宮垣の観点を含まない、きれいな目次」だった。つまり、宮垣に気づかれないようサッサと直してあった。

ということは、大手各社では、仕事で組んだ誰もかもが宮垣の観点と読者の利便性視点の違いを、宮垣本人に説明せぬまま、目次レベルから手直しして仕事を終えたということだろう。

宮垣にきちんと説明する誠実な誰かがいたならば、三年前も今回も、土田が苦戦する理由がなかった。
若いころから喧嘩と狼藉には定評のある「クラッシャー宮垣」をおそれてのことだな、と四郎には感じられた。

うとまれる側の気分がよくわかった。それは胸に迫ってきた。

大手刊行本は目次こそきれいだが、人体の破壊については非常にぼやけた、わけのわからない記述になっていた。
宮垣が破壊ポイントをあからさまに公表しないよう、たとえば腱を一本・急所を二センチずらしてある。そのことを、どこの会社も読み解けないまま扱ったらしかった。
治療についてはましだったものの、これを真に受けた治療家は苦労しているだろうな、という記述がいくつかあった。

例の教室の宣伝は、大手になるほど中盤を自社コンテンツの宣伝に大胆に誘導してあった。文兆社には文兆社にしかない宮垣武闘マンガシリーズとDVDシリーズが。帝学館には帝学館にしかない実録武闘伝や武術解説シリーズとDVDシリーズがうまく挟み込まれて、全国教室と施術院一覧に続いていた。
しかも、出版社主宰の講演会や1day教室が、武術教室と施術院の地域本部で開催される仕組みになっている。
四郎は読みながら「うわあー」と小さく声をもらしていた。なんという商売のうまさだろう。

宣伝にしばし見とれた四郎は、気後れを感じるものの土田に話をせねば、と、徒手空拳で立ち向かう気持ちで土田の前に立った。

「あの土田さん」四郎はどう説明すれば伝わるかな、と懸念しながら話をした。
「宮垣先生の組み立てが、人体を”治しと壊しの決定打はどこに当てるか”という、外から内へ波状に及ぼすアクションに寄ってたっておるもんで、それにひっぱられて章立てと説明の順番が宮垣先生の言うなりになってまうと、これ本としてパキっとせやへん……すいません何言っとるかわからんかもしれん」

「わかんないよ」土田はむっとした。

「すいません……出直します」四郎は土田から離れた。



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もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!