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人は受け入れられてる雰囲気で息を吹き返します、たぶん。【物語・先の一打(せんのひとうち)】19

「一年と二週間。それは、四郎君のどういうタイムリミット? ……もしかすると、奈々瀬 ”と” 四郎君の、タイムリミットかな」安春は娘を見た。奈々瀬はリンゴジュースをまた一口飲んだ。殴られた顔のあざを隠そうと、再びマスクをおろしたところ。

奈々瀬はあやふやにうなずこうとして、それをやめた。
そうなのかどうか、わからない。はっきり考えたわけじゃないから。

(「誰が」の部分を、理性で切り分けないでほしい)

奈々瀬も言ってみてわかったのだ。
「自分はどうしたいか」を話すと却下されそうで、四郎のことがらに引き寄せてしか話せなかった。
話してみてさらに、却下されそうな不安が強まってしまった。


だって自分は「メシ係」呼ばわりされたくないだけ。
ごはんを作りたいわけじゃない。
勉強だってしたいわけじゃない。
一つだけあるとしたら、四郎のそばにいたいというだけ。
将来の展望なんかあるわけがない。
なんとなく日々を送れるならそうしていたい。

「夢は、明るい家を作ることです」
初めて高橋さんに会ったときに、夢を聞かれて、「……笑いませんか?」と、探るように疑うように言った。あれは、あれは、あのときとっさに口から出ただけ……

カワセミの絵ハガキに「高橋雅峰」の雅号でサインをしてくれた高橋に悪いから「大切にします」と言っただけで、「明るい家を作ることです」という言葉は、高橋さんの中で独り歩きして、もう自分から離れて……

……だいいち料理が負担で嫌いなのに、明るい家なんかつくれるわけがない!


「自分はどうしたいか」なんて結局は私利私欲でしかなくって。

自分勝手でしかなくって。この国では自分のことを考えると自己中と批判されて。子供に「夢は何」と聞く大人が平気で別の大人の夢をディスっていて。夢が壊れたとかつらいとか言うと構ってもらえて。弱音を吐くと優しくしてもらえて。ポジティブなことを言うと「意識高い」とか言われたり足を引っ張られて。

優しいふりして他人とつぶしあって。私はどうしていいかわからない。

「誰が」「何を」「どうして」「どうなるから」「私は」「こうしたい」をすべて整理されてしまったら、パーソナルスペースを越えて、自分でもわからない心のひだに、土足で踏み込まれる気分になる。

恋は初めてなのに。

ずたずたになってしまいそう。

奈々瀬のなかで、ぐるぐるともやもやが回って、奈々瀬は黙ったままでいた。



そのとき……

「”僕ら” の、タイムリミットです、安春さん」
高橋が、夕焼けをみながら感動のため息をつくように言った。


「タイムリミットは段階的に何度かありそうなんです。最初の大きな不連続が、一年と二週間後までは今のところ、顕在化していないというだけです。

僕もまた、挑んで高転びするのかもしれない。四郎も、その日までの四郎でいられなくなるかもしれない。奈々ちゃんもまた、大きく境遇を変えることになるのかもしれない。
そこまで僕らは、孤立せずに互いを自分にとっての鍵とできるかを試みようとしています。正直おそろしい……一人で毛布にくるまって孤独にさいなまれてたほうが、泣きわめかずにすむかもしれないぐらいおそろしい。

僕だって共同体の試みが、どれだけ惨めにうまくいかなくなるのかぐらいは知ってます。小人数でも、大規模でも。

でもどうせうまくいかないんなら、一人で毛布にくるまって寒々しい場所に一人ずつでがちがち震えてるより、夕ごはんや朝ごはんを互いの家でときどき一緒に食いながら、ぎくしゃくしあってでも、自分の思うところを安心して共有できる安全な雰囲気の小さな場があるほうがいい。

食う寝るところに住むところは、安全な雰囲気の、一人じゃないなって感じられるところがいい。……少なくとも僕にとっては。

それを運用できる最初のタイムリミットが、一年と二週間後です、安春さん」


奈々瀬は高橋を見た。奈々瀬から見てオトナな、灰色の背広の魔法使いみたいになんでも知ってる高橋が。口にしてからためらった。

話してみてはじめて、話したことが本当にそうかわからない、という心もとない表情をした。両の手を重ねてあごをのせて、おさまりがわるくて手指を合わせて唇をそっとつけた。

(この人も確信をもって話すわけじゃないんだ)と奈々瀬は思った。少しだけ安心した。
(話してから、確かめてから、もう少し話してみていいんだ。
道のないところへ……自分が話しながら、道を少しずつ、つけていく……)


四郎が、まっすぐ安春を見ようとして、十人が十人、視線を合わせると恐怖ですくみあがるまなざしを、安春からそっとそらして告げた。

「自分はどうしたいか言っても却下されない安全な場があるなら、俺もそれはほしいです。自分で主体性をもって作れるかてって言うと、それは無理で、俺の場合は高橋が頼りなんやけど」

四郎が続けて話した。

「俺自分を自分で育て直して、できれば、俺の子供時代を押しつけんのびのびした子供を、二人ぐらいは育ててみれるような大人になってみたいなあと思います。あと仕事が一人前にできるようになりたいなあと思います。あと自分の父親と、ちゃんとしたコミュニケーションが取れるようになりたいです。あと俺、すごい変ないきさつで写真の中の人と約束してまったことがあって、自分の書き物書きたいなあと思います」

奈々瀬は四郎を見た。
「自分はどうしたいか」が自己中に聞こえるか聞こえないかは、どこで変わるのだろう……

四郎の夢はまっとうで、自分の夢はまっとうじゃない。

「四郎といっしょにいたい」と言ったって、まだ高校生だろうと言われておしまい。「高橋の意見をあれこれ聞いていたい」と言ったって、それをしてどうなりたいんだと言われておしまい。

「一年と二週間後ね」安春はふんふん、とうなずいて聞いた。

「隣近所に、寄り合ってみるかなあ」


四郎がそこで話を止めずに、息を吐いて吸った。

「お父さんもうひとつ、俺がしてみたい大事なことがあって」四郎は、かっと耳を染めながら震える声で言った。「心から人を愛して大切にすること。俺の先祖代々、人殺しばっかしよって、誰もうまくやれたためしがないらしいです。俺それが」

息がひくっと詰まって、四郎の話は途中でぶつ切れた。四郎は詰まった息を吐き出すように話をつづけた。

「ご先祖さまんらが殺さん女の人の年は、三十五歳ぐらいよりあとやもんで。俺去年は、三十五歳すぎた奈々瀬と一緒におれたらなあ、とか思っとったけど。それは逃げかもしれんと思って。お父さん、早いとお叱りを頂くかもしれませんが。奈々瀬を、一緒におれる最後の日まで心から」

さっきの株分けの話は表現しきった。結果がどうあれ、この場で文脈と表現を補いきる。四郎はつづけた。

「心から大事にしたりたいです。どうつきあえば、どう接すれば、どう行動すればそうできるのかが全くわかりません。それでも」

高橋と奈々瀬は、四郎を驚きのまなざしで見た。
十九歳で初恋で童貞で、そこまでしっかりとしたことを言う!?


「異議あり、というか不許可」
今現在燃え尽きてはいても、長野地裁の敏腕裁判長は、あっさりとぼけた声で言った。

「立派な、よく考えられた、思慮深い言葉だった。つまりホントに、具体的にどうふるまったらいいかが皆目わからない、という四郎君の身につまされるような途方に暮れた感がよくわかった。正直に言ってくれてありがとう。四郎君のことは大好きなんだが。こっちも正直、ご先祖さまたちの錯乱ぶりや危険性を考えると、とても大事な奈々瀬を君の過酷な運命に触れさせるわけにはいかない。男親のバカげた守り方だと思ってくれないか」

四郎は耳の熱さと自分の震えとをしみじみかみしめながら、目をつむった。

なぜだか「敗訴」の大書を背広の人がこっちに向けているイメージを思い浮かべた。すがすがしい、みじめな、「表現しきった感」だけが残った。


「保留、でお願いします」

高橋が、ときどき見せる口元の不敵な笑みを浮かべて言った。

「連絡線を断ち切るのは安春さんにとって得策ではない。二人に他県へ駆け落ちされたり、音信不通を決め込まれたら、それこそ困る。安春さんにとっては、感情面でも客観的にも不許可であっても、不許可を断行して、却ってかやの外に出されてしまうことは避けたい。違いますか」

「駆け落ちはないだろうー」安春はニヤつきながら言った……が、その笑いは真顔になった。「高橋君、私と妻が双方の実家とほぼ音信不通なの、調べた?」

そうだ。この若者は案外、策士なんだ。

「いえ。奈々ちゃんのはねっぷりとか、お母さんの断固たる衝動性というか、そんなのとかを考えると」

親戚づきあいも実家との連絡もないことを、知らないふり。
今回の事件を受けて、身を寄せられる親戚はいないか、奈々瀬本人に確認したのではないか……

安春は苦虫をかみつぶしたような顔で黙った。そして、「あっ」と急に何かに気づき、声をあげた。
「奈々瀬が事前に私に相談をもちかけた! これは画期的な進歩だよ」

安春は「参ったなあ」と言った。「参ったな、奈々瀬が事前に……」


安春はすっかり情けない笑顔になった。

ということは、母も娘も、本当に「おはねちゃん」を貫き通してきたわけだ。四郎は「ポイントそこ……ですか」と茫然としてきいた。

安春は情けない笑顔を広げた。「ポイントそこなんだよ。何かあってからの事後承諾って、かわいい娘に頻繁にやられてごらんなさい。もたないから。
去年だってほら、殺人犯相手に、通夜の会場から抜け出して。四郎君に助けてもらってからやっと、電話よこした」

四郎と高橋は、安春に見比べられて少しだけ身じろぎした。
とうとう安春は、こう言った。
「四郎君と高橋君かぁ。私としちゃあ、一番信頼していて一番警戒してる二人だなあ。どうしたもんだろう、本当に」
大きく息を吸い込んで、安春は一応の暫定判断を告げた。

「やむなしだな。不承服で保留」


「お父さんいいの?」奈々瀬はあっけにとられた顔で言った。
「私四郎と一緒にいたくって、高橋さんにいろいろ相談したくって、それどっちとも却下だと思ってたんだけど」

「却下だと思い込むから、一人でぴょんぴょん、どこかへ誰の了解もなしに、行動していっちゃうんだろう?」
安春はしょうがない、という顔をした。「頼むからよしてくれ。命がいくつあっても足りない」



「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!