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こんなにしてやっと、力みと構えを忘れられる。かわいそうなやつだーー成長小説・秋の月、風の夜(101)

「さあご先祖さんたちや。こいつは四部作を書ききるまでは、俺の弟子にしちまうんだ。
どっちが強いかはお前さんがた、よくわかってるだろう。束でいたって、体もない、性根も下劣、心も弱いもんには負けやしねえ。くやしくてもかかってこれねえんだから、とっとと出やがれ。

子孫を食い物にするような、腰抜けの未浄化霊のままぐずぐずしてねえで、成仏してから格調の高さで、俺をさとしにきやがれィ。
体があろうがなかろうが、仏はどっちが格調高いかで勝負が決まるもんだろうが。俺は伝法な狼藉者だが、気迫と覚悟じゃァ負けねえぞ!」

宮垣が啖呵をきった。

とたん、出て行くものの意識のレベルが、オクターブ高くなったのがわかった。
「……え、っ……?」
四郎はあっけにとられた。体から抜け出るものらの声が、わけのわからない重低音ではなくなったのだ。

「はっはっは、子孫が素直だと、先祖もしつこい割には素直なトコがあるな。子孫の脊髄から脳神経にまで絡んでコピーされてるから、ちゃぁんと子孫の耳と脳を借りて学びやがる」
宮垣は笑った。

「おおいに結構。もうちょっと追い出してやろう。ひでぇくやしがりどもだから、あおってやると面白いように出ていく」

四郎は息があがったまま、宮垣にすがっていた。

宮垣は言った。
「これは俺の脳みそで、これは俺の体、と口に出して言ってごらん」

ぶつぶつ復唱してみると、(嘘や、信じれやへんて)という感覚が、沸騰するように出てくる。

そのようすをみて宮垣は「そこで押さえ込まんでいい、嘘だろうという感覚をどしどしわかせて放り出せ。風呂釜掃除でわざと出させた水垢みたいな、ご先祖さんたちの感覚汚れだ。ありったけ浮かせてことごとく取っちまうから、少しでも多く出たほうがいいんだ」と言った。

いいのだ。これを今まで押さえ込んできた。出していいのだ。これをやって、体の外に出すのだ……。

「俺の体は俺のもの、誰にも渡さん、と口に出して言ってごらん」

またもや復唱してみると、(俺のもんなわけないて、もともとご先祖さまと奥の人の道具やて)という感じと、怒り・憤り・憎しみ・失望・無力感・あきらめが、またまた大いにわきあがる。

ここまでわきたつと、ご先祖さまや奥の人の感じていることとは思えず、自分の感覚と思えてどうしようもない。

どっぷりとその感覚に支配されてしまう。四郎は肩で息をした。

宮垣は「それでいい。正気に戻るとき、虐げられていたことへの怒りが出ていい。生きるエネルギー、ばねのようなものだ。いずれは引っぱる意識を、体から引き出し、自分でどうにかできるように教えてやる。今はそれでいい」と、四郎の背をなでた。

「もうご先祖さまは送り出して、ことごとくしがらみを消してあげようと決めろ。決めた気持ちを自分の内側から送り出すさまを、ぐうんと思い浮かべてみろ。そうだそうだ。あとはぼうっとしてなさい、へたに追っかけてると頭が痛くなっていかんし、施術もしづらい。ぽけぇーとしててくれ」

そして宮垣は、「さあおさらばだ」と、出ていく膨大な気配の大群に、声をかけた。

太いものがいく筋も、四郎の仙骨から内臓を走りあがって、体の中から消えて抜けた。抜けた後の筋繊維が、まるで密林のふしぎな蔓植物のように、ひそっと最適化されて構造を変えた。

四郎は目をつむったまま、口をあいて口で呼吸していた。細く圧縮されていた自分の内側が、何かが出た分太く戻る感覚。

「ぁあ……」

とても久しぶりに、息が深くなる。
昨冬、奈々瀬と出会ったときのような。初夏、高橋が手をあててくれたときのような。

四郎はやっと、もともと何も内側にぎゅうづめにされていない人間はどんな感じなのかを、知りはじめた。

宮垣は四郎をうつぶせに寝かせ、枕を抱かせた。

「じゃあこんどは、二才と十一ヶ月までの虐待記憶と体に入った情報を、取り除こうな。十月十日の胎児期とも、それ以前それ以後とも違って、母から出て酸素にびっくりして身一つになりつつあるとき、情報処理が少し変わる。

首肩背中から迷走神経全体への焼きつきが残る。テクニックとしてここをとりきらんときに、 “三つ子の魂百まで” という勘違いをするんだ」宮垣が語る。

「無念無想が武芸の上手だ。雑念つまり脳のよぶんな情報は、消しちまえ。

不要な回路と神経連動、体細胞の余分な情報は、体の後ろの見えない押入れにつっこまれた、たまった洗濯物みたいなもんだ。大昔のだから、いちいち洗わず押入れごと廃棄でいいんだ。

体細胞・神経・脳からとりきってしまう。あるまま抑えると、苦しみを増すからな」

四郎の背中と首の筋繊維が、ばきばき音を立てた。

「おまえの引っ込み思案や緊張は、この時期とのリンクが大きいな。赤ん坊のころ、身も心も休まらぬ状態が続いたらしい。

むしろ、生まれる前、胎児のころからか。よく耐えたな」

四郎はやがて、ぐったりうつぶせになったまま、朦朧としていつしか眠っていた。

布団をかけてもらったことも知らなかった。

(かわいそうなやつだ)宮垣は、ぼんやりと思った。(こんなにしてやっと、力みと構えを忘れられる……人にただ、安んじてもたれかかることが、そんなにまで難しい……)

うとまれ、愛されなかった子供が武芸者として立つには、大人になってから自分をいちどばらばらにして、育ちなおさねばならない。

軸の太さを確保してやるぐらいはできるだろう。

(こいつには、してやれるかな……)と思いながら、宮垣は自分の布団にもぐりこみ、目を閉じ、いびきをかきはじめた。

夜半、また、四郎の体にあちこち手をあててみて、宮垣は湿らせた手ぬぐいで、右背中右腹の肝臓の熱をとってやった。
それから、背筋を二本指で、すうっと撫で上げた。骨盤と腰椎を、もういちど調整した。

「……うう……ん」

うつぶせた四郎は、眠そうに甘えた声を出した。

いつもの四郎なら気配に飛びすさったはずだが、そんなあり方の決定的な違いにも気づかないほど、無防備に再び、眠った。


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マガジン:小説「秋の月、風の夜」0-99

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もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!