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くやしくは……ありません。--成長小説・秋の月、風の夜(114)

スマホを探し出して、荷物から出してみたら切れた。有馬先生だ。

「あれ、どうしやしたしらん」かけなおしてみると有馬先生本人だった。しかも四郎の様子は聞きたいがと断りつつも、先に和臣先生の剣道場、広徳館の話で。

「何で四郎に? 四郎が電話苦手なのご存知なのに」
(ははあ、マジ切れでどなった手前、いつも気安く連絡してきていた僕にかけづらいな)と高橋はニヤついた。

四郎は高橋をいたずらっぽく見ながら返事をする。
「あの有馬先生。今高橋も一緒に仕事しとって、うちの樟濤館(しょうとうかん)の剣道教室の経営は、俺より高橋の方が、どんな風によそのうまいやり方取り入れたかとか、詳しい知っとんさるんやけど。
どうしましょう、高橋も一緒に話してもらえると、俺ちんぷんかんぷんにならしと助かるんやけど、どうですか」

――わかった、頼む。

スピーカーに直して、有馬先生の用件を聞く。

借金三千万円。返すめど立たず。生徒数の激減。広徳館をどうするか。古参の爺さん連中にも振り回され中。大型開発の話も来ている。

有馬先生、メモを読み上げてはいるが、かなり話がウロウロする。
高橋は口をはさまず最後まで聞いてから、発言した。
「立地はすばらしくいいんですけど、立地のよさとだだっ広さを持て余していますよね。開発話が来ているんですもんね」
広徳館の場所のよさから話をはじめた。
一に立地、二に立地、三、四がなくて五に立地。

有馬先生は黙ってきいている。高橋が真摯に話をすれば、有馬先生は何も言わず謝ったりもせずに、そのまま従来のやりとりに戻ることができるはずだ。ああいうのは、どなった方が、あとあと気まずかったりする。

「大津市のあの界隈の十八歳未満人口と、剣道人口を考えると、生徒数の激減は十年後も確実にひっぱってます、日本人に話を限って言えば。
ちなみに、教育委員会資料と県の人口統計をみてます」
高橋はタブレットであれこれ検索しながら、スピーカーに向かって話した。

「広徳館の近所五キロ圏内にあった合気道教室と剣道教室が、数年前に移転・閉館してますね。ライバルは減ったってことですが。
じゃあ広域を吸収するかというと……。
バス路線と電車の駅から、距離があります。あのあたりは自家用車で送り迎えの子弟は多いでしょうが、いっぽうで同じ圏内の少年野球・少年サッカーとの競合具合はシビアですね。
もうひとつ、総合病院と小学校中学校も、移転や統廃合の動きが十年前から続いたみたいですね。

由緒正しい広徳館が、へたにがんばった分、逃げ遅れた感は否めません。

外国人や社会人人口は、工業団地や大型商業施設の場所からいって、こんごも広徳館の近くで増える可能性は低いです。
同じ場所で営業努力をするのは、和臣先生ご自身の負荷がさらに増して、首を絞めるかもしれません、そこはもう少し情報収集が必要です」

四郎はただ聞いていた。掃除をする余裕をなくしてすすけた、みごとに黒々とした床を思い出した。
人は減っているのだ。地方や国のありようが、かわっていくのだ。

「それより有馬先生、せっかくクラッシャー宮垣とご縁がつながったんですから、思い切ってあの人の全国チェーンの力をかりて、生き延びるって手はなくはないですよ」

高橋はあえて、有馬先生がいやがりそうな話を持ち出した。
解決策として非常に、軸が太いためだ。

「もし彼らの手を借りるとしたら、小ぢんまり移転するか場所に見合ったテコ入れをして、集客部分の宣伝力を借りて本部指導を入れながら借金返して、という方向性かなと思います。
広徳館ほど由緒正しい格式ある剣道場なら、ないがしろにせず、丁寧に扱ってくれるはずです。
とにかく教室収支のウォッチがうまいですから、あそこの本部。四郎を預ける前にちょこっと聞き取りした限りでも、おみごとの一言です。

居ぬき、先生そのまま、無借金、採算ベースで無理があるなら統合移転、幼保から学童までの放課後お稽古ビジネスをスクールゾーンに置いて、生涯学習とカルチャーセンタースポーツクラブとも提携。
僕は製造業と飲食は経験してますが、教室経営は専門外で、さほどお役に立てません。宮垣先生のとこならノウハウは確かです」

うわっ。
スピーカーからひとしきり吠え声を聞いて、四郎と高橋は目を見合わせてわらった。
まずは感情的なショックが反応されていい。四郎と高橋は、ほぼ聞かずに黙って微笑していた。

四郎はスピーカーに向かって、少し何かを整えるようにして、告げた。
「有馬先生、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれてって、よう言うもんで。まずはいろいろ決めずに、情報収集だけにしやして」
電話の向こうの有馬青峰が、急におとなしくなったように、高橋には感じられた。

「もし宮垣先生に話きいてみやーすことがあれば、俺んとこもいずれ剣道教室は和臣先生とおんなじような立場やで、ご一緒させてくんさい」
と、四郎は和臣先生のばつが悪くならないように、そっと言った。

有馬先生の声が安堵したようだった。ひとしきり四郎の体のようすを質問して、電話は切れた。

高橋は「一緒がいいなあ」と言いながら、やはりひとりで宮垣を訪ねた。

あのクラブでの四郎の威風にみちた背中を思い出していれば、自分の情けない部分をそのままに、宮垣にざくざく刺されながらもなんとかしのげる気がしていた。

宮垣は「来たか来たか」と笑って言った。

高橋は「お手柔らかに」とは言ったものの、四郎の先祖の憑依に関して四郎と話したようすは、正直に宮垣に告げた。そして言った。「僕の甘い部分がことごとくないように、お願いします」

「殊勝なこと言うじゃねえか。四郎とは別の意味で、ツッコミどころ満載だからなあ、お前は」

太い指で頸椎から脊椎をタップして、宮垣は言った。
「高橋雅峰の海と岩といやあ、かつてアラブの金持ちも買ってった日本画だ。それを継ごうってんだから、へなちょこな土台でいいわけがなかろう。ドバイにも台湾にも、絵を売ってくんだろ?」

「今のままでは……到底やりきれません」
「だぁなあ。どっかに無理がある、いちどバラして組み立てなおしだぞお前も」

宮垣はそうして、高橋をうつぶせにさせ撫でた。「雅峰、くやしいか。お前が惚れこんだ才能は俺を見上げてる。お前が生涯ひとりの親友と決めた相手はもうお前を見ない。お前が執着して、お前が一方的に親友になって、お前が一方的に尽くしてる四郎は、俺と毎日毎日、人壊しと人治しの原理原則とテクニックに夢中になって、いのちをとりもどして、二度とお前のところには戻らない。くやしいか」

(なぜそんなことを聞く)と高橋は一瞬思ったが、いやまて、宮垣は還暦過ぎでもただのコドモだ。
聞きたいから聞いている、それだけの質問への返答にしてやろう。

高橋は「くやしいかどうか、ですか……。くやしくは……」ずうっと腹の中を点検して、「ありません」とつぶやいた。

「あんなに腹の中で俺を罵倒したくせに、どうしちまった」

うつぶせのまま、高橋は答えた。
「あなたのなさりようへの怒りは、四郎を本気で生き延びさせてくれるつもりがあるのかどうなんだって振る舞いに対してでした。

四郎に知らせていない大事な情報を、有馬先生をくやしがらせるために話す。きれいなオネエチャンでいっぱいの……つまり、ご先祖さまのエサでいっぱいのクラブに、四郎を呼びつける。
あいつあのあと、四分ぐらいご先祖さまがわーわー騒いで、けっこうきつかったんです。僕がとことん止めずに、店に入らせちゃったばっかりに。

四郎を本気で大事にしてくれているのか信じがたいなさりようには、そりゃもうはらわたが煮えくり返った。
怒りって、僕にとっては対処のしようがない物事に対して、僕が立ち向かわなきゃならないのに無策なものについて、怒りがわくことが多いんです。絶望したり無力感を感じたりしているんでしょう、裏で。

一方で、あなたが親身に四郎の面倒を見てくださるのはわかってる。
四郎が安定して自由に楽になっていって、寿命がのびたら僕は心底嬉しい。
しかも四郎をご先祖さまのエサでいっぱいの店に呼ぶなんて暴挙については、四郎自身が、僕へのなさりように釘をさす、というやり方であなたにストップをかけてくれた。

僕が立ち向かわなくても、四郎が課題を取り除いてくれた。

だからもう、怒りはありません」

「お前の四郎は、もう俺のもんだ。それがくやしくねえのか、と聞いている」

(ふふ。コドモのおもちゃみたいに思われてるな、四郎)
高橋は急に襲ってきた眠気にゆられながら、ゆったりと答えた。
「あいつは、誰かのものになったりはしませんよ」

高橋はつぶやいた。
「だいたい、もともと四郎は僕のものじゃない。
人をモノ扱いして所有をうんぬんするあなたの認識には乗らない、だって四郎がご先祖さまのそういう血塗られた未成熟な認識を、くつがえそうとしてるんですから」

「くやしくはない」高橋は繰り返した。「どうしようもなくさびしい、その気持ちはずっと自分の中にある。それは四郎がいてくれたら半分はなぐさめられていた。でも根本的に埋まるようなもんじゃない、あくまで僕自身のうちがわの問題でしかないんですから」

「はらの底の感覚を、知ってて抑え込んでいるわけか」宮垣の手は背筋をおりて、腰椎で止まった。

「抑え込んでるわけじゃない、どうしていいかわからなくて持ってるだけです。ひたすらつらくても、気づかない愚かさより気づいてる苦しみのほうが、ましに思える」高橋は、腰椎からしびれのように響いてくる肩への痛みにうめいた。続けて言った。

「僕のおじも、おばも、無自覚に感覚や感情を症状に転換して自滅していった。僕はそこから抜け出したい。だから四郎をザイルパートナーに選びたかった、親友と呼びたかったんです」

宮垣はにやりと笑い、「あおむけ」と指示をして、こんどはゆっくりとねじりのストレッチをさせた。

高橋は大きく息をつきながら、自分の体をゆっくりとひねっていった。



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もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!