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修行するってどういうこと?

初めまして、臨時休業中で、毎日自分のために鮨を握っている銀座の鮨屋で修業中の黒木です。この休業中の方が鮨握れて、ためになってるのかなぁ、なんて呑気なことをことも考えながら、自粛期間延長でいよいよ店の存続も本気でやばいなと笑えない状況です。
今日は「修行」について考えてみたいと思います。

なぜ、修行するのか?

なぜ修行するのか、今現在しているのか?ってことですが、シンプルに自信がないからだと思います。
仮に将来自分のお店をもちたいと目標があった場合、料理を作る技術だったり、お客様へのおもてなしだったり、一緒に働く人とのコミュニケーション、お店の運営などなど、実現させるために必要な要素が色々あると思います。将来的にやれるようになった方がいいことを疑似体験することで、必要な要素をイメージできてやれるぞ、っといった状態になったり、もしくははじめは存在する知らなかった要素を発見することが修行の主な目的だと思います。

修行で何を得られるの?

では、修行によって何が得られるかというと、3つあると思います。
1つは目標に進むための後押しとなる主観的な自信です。
この自信がなかったから修行をしていたようなもので、どんな形であれ修行を終えるということは大なり小なりこの超主観的にお店をもって維持していけるという自信を得ていると思います。
2つ目は仲間と応援者です。
これは修行の中身、行い方で変わるものですが、熱量を持って必要なことを吸収してやろう、さらには学ばせてもらった分、お店にも貢献しようっという姿勢のもとやっているとついてくるような気がします。
仲間は同じ釜の飯を共にした職場の人で、同じような目標をもつ者どおし、修行先が変わっても関係が続いていきます。今銀座の鮨屋にいますが、北海道時代のフレンチレストランの仲間や宮崎時代の日本料理の親方とは連絡を取り合い、昔ばなしから今後の目標まで語ることができます。かけがえのない財産です。
応援者は人やお金の面など、自信はあるけど実際に店を持つときに足りない要素をサポートしてくれるパトロンみたいなひとですね。この応援者までいる状況だと失敗する確率がぐーーんと下がるので、ほしいですが簡単ではないですね。なぜなら、応援者がいるという状況は客観的な評価、価値があるということで、この価値を作る必要があるからです。応援者の数は自分の自信の根拠を図るバロメーターにしてもいいかもしれません。
3つ目が、できない自分と向き合う→克服するという訓練です。
これが自分にとっては一番大事です。修行中はできないことの連発で、さらに周りにそれを晒すことになり、時には厳しめの言葉をもらうこともあります。修行を始めた当初など、海外で活躍する料理人になると意気込んでるのに、まともに玉ねぎのみじん切りすらできなかったり、窓掃除すらきれいにできなかったりと、できないことだらけです。このできない自分とどう向き合うのかという、何かをできるようになる過程の訓練こそが修行で得られる大きな財産だと思えてなりません。なぜなら、修行により、できることが増えて、自信を持とうが、新しい挑戦を続けている限り、できない自分と対峙することは幾度となくあることだからです。

修業は必要?

お店に入って疑似体験的に技術を覚えていき、周囲の厳しい指摘に耐えるっといったよく言われる修行の必要性は少なくなってきていると個人的には思います。Youtubeや寿司学校、料理学校などで調理技術を体験することはできるし、経営、店舗運営、経験談をまとめた書籍も山ほどあるし、お店に入らなければ得れない情報の方が少ないように思えるからです。
ただ、お店に入ろうが、入らずいきなりお店を始めようが、うまくいかない、できない状態は絶対何度も発生するので、その時自分と対峙して逃げない、負けないだけの精神力と工夫、アイディアを生み出す力とそれを実現させるだけの行動力は身につけておかないと不幸になるのかと思ってます。書きながら、修行中の身が何を言っているのかと思えてきましたが苦笑
自分でお店をやる前提で修業について話してきましたが、お店以外についても言えることなのではないかと。
コロナがあって、料理人として自分の店を持つだけが目標ってかなり厳しいなーと思えてならない今日この頃です。

読んでいただきありがとうございます。