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テレビが「イヤな奴」を起用するメカニズム

先日の衆院選の投開票の日、
民放で放送された番組が、話題になっていますね。
もちろん悪い意味で、です。

私は選挙に非常に強い関心を持っていたので、
テレビがどのように報道するのかも気にしていましたが、
れいわ新選組の代表、山本太郎氏に対して
タレントの太田光さんと古市憲寿氏が相次いで
常軌を逸した発言を展開し、
それぞれ別のチャンネルの番組でしたが、
そこでそれ以上、テレビを観るのをやめました。

太田光氏はその後、自民党議員に対して「ご愁傷様」という言葉を言った、
といううことが話題のようですが、私はそのシーンは見ていません。

TBSに出演していた太田氏は山本太郎氏に対して、
「なぜ財政破綻しない、という神話を信じるのか?」と質問。
山本氏にとって(私にとっても)それは神話ではないので、
根拠を説明しようとするも、
太田氏は言葉をさえぎってまったく受け付けず、
中継が終わった瞬間に「あいつ態度悪いな」と言い放ちました。

フジに出演の古市氏は山本氏に対して
「ワクチンは打ちましたか?」と質問。
私はそのことを公に聞くのはいいとしても、
ワクチンを打っていないことが問題であるかのような
印象誘導を図ろうとした古市氏の人権意識の低さに
心の底から嫌悪感を抱きました。

フジでは橋下徹も登場し、
山本氏に対して言いがかりとしか思えない発言を機関銃のように浴びせ、
詳しいことがわからない視聴者に対して
山本氏の判断がまちがっているという印象を与えようとの
印象誘導が非常に不快なものとして受け止められました。

ここでは、具体的に太田光氏、古市憲寿氏、
橋下徹氏という三人を挙げましたが、言葉を選ばずに本音で言うなら、
どうしてテレビ局は、こういう「イヤな奴」を起用するのでしょうか。

今日はそのことを少し考えたいのですね。

もちろん、彼らをイヤな奴だと思うのはあくまでも私の主観であって、
世の中には彼らに好感を持っている人もいるのかも知れません。

けれども、少なくとも今回は、かなり物議を醸しているわけで、
こうなることはテレビ局も予想していたはずなんですね。
というか、つまり、この反応は予定通りなのだと思うのです。

つまり、イヤな奴を起用することで、
そこでの挑発的な態度に対しての政治家の対応を面白おかしく見せることで
数字を稼ごうと言う意図「だけ」があるのです。

それは資本主義の必然ですね。
営利企業に過ぎない民放テレビ局にとって
「ジャーナリズム」などそもそも眼中にないのです。

彼らはお金を稼ぐため、
つまり視聴率を稼ぐためだけにテレビ放送をしており、
選挙だろうが殺人事件だろうが、すべては数字のネタでしかないのです。

同じ時間によそのチャンネルでやっている番組よりも
より大きなインパクトを持たせるには、
テレビ欄に何を書けるかだけが問題なのであって、
それはつまり、誰を呼ぶか、ということなのですね。

そしてそこで、「何か問題が起こりそう」ということをネタにして
視聴者にチャンネルを合わさせようというのが
彼らの思考回路なのです。

これは、資本主義下における民放放送局の必然なので、
テレビ局が悪いのではなく、資本主義が悪いのです。

さて、では、数字を稼ぎたいというときに、
どうして誠実な人や、知的な人ではなく、
「イヤな奴」を呼ぶのでしょうか。

それは、視聴者が「イヤな奴」を面白がって見るからです。

恐らく太田氏や古市氏は、ご本人に会えば、
それほど酷い人間ではないのでは?と思うんですね。
それでもあんなふうに振る舞って見せるのは、
もちろん食べていくためです。

古市氏がイヤな奴として振舞うことで視聴者が反応すれば、
いい反応でも悪い反応でも、どちらでも良くて、反応さえあれば、
テレビ局としてはそれで勝利なのです。

「古市くん、ありがとう!次回もよろしくね!」ということになって、
自分の役割をよくわきまえた彼らは、局の期待に応えようと、
どんどん「イヤな奴」という役回りに拍車をかけていくことになる。

橋下徹氏を見ていると、どんな問題にも
同じようなキャラクターで批判的に大声を出しているのだけれど、
言っていることが支離滅裂なことがあります。

イヤな奴という役割を果たすことだけが目的化してしまって、
中身が伴わないときですね。

つまり橋下徹氏は単なる「批判屋」なのです。
そう言う様子を見ていると、
これは一体誰トクなのか?と思ってしまいます。

ところで、テレビタレントが「イヤな奴ら」を演じることで
生きるためのお金を稼ぐのは、まぁ、理屈としてはわかるのですが、
やはりこれが、本当によくない効果を社会に生むんですよね。

それは、「イヤな奴」を目の当たりにすることで
「社会の良識」が破壊されていってしまうことなんです。

テレビに出てくるイヤな奴らは、
だいたい「少し頭がいい」キャラなのです。
そうすると、騙されやすい視聴者たちは
彼らのような態度をとることが
「わかっている人間」の態度なのだと勘違いする。

そして、日常の中で訳のわからない論理を振りかざしたり、
「論破」と称して人をたやすく言葉の暴力にさらすようになる。

社会の課題を解決するのに必要な「対話」という取り組みを
根底から破壊してしまうのですね。

私がテレビ局の人々に言いたいことがあるとしたら、
企業のいっときの利益のために、
破壊したら取り返しのつかないこと、
修復するのに膨大な時間と労力がかかるものを、
たやすく破壊すべきではない、ということなのです。

それが先ほども言った「社会の良識」というものです。

テレビ局は、テレビ画面にイヤな奴を登場させて、
彼らに人の気持ちを逆撫でするような言動をやらせて、
目先のお金と引き換えに社会の良識を木っ端微塵に破壊しているのです。

その悪影響を受ける人の中には、
あなたの息子さんや娘さんも入るかも知れません。
そうなったら、取り返しがつかない、ということですね。

しかし、やはりお金という論理には敵わないかもしれないですね。
では、どうすればいいのか・・・

実は、テレビにイヤな奴を呼んでしまう民放のやり方に
抵抗する唯一無二の方法があります。

それが「観ないこと」です。

テレビ局が欲しいのは「反応」です。
良い悪いを問わず、視聴者がなんらか反応してくれることが重要で、
クレームなんて怖くないのです。
適当に謝ってやりすごせば、視聴者はまた観てくれる。
それがわかっているのですから。

では、どうすればいいのか。
彼らにとっていちばん辛いことは、反応がまったくないことです。
視聴率が上がらないだけでなく、ネットでも話題にならない。
そういうことが起きた時、メディアとしての価値がない、
ということになります。

それは彼らにとって本当の存亡の危機になるのです。
そうなったら、良識のある番組に変えるしかなくなる。そういうことです。

よく視聴率は特定の人の家でしか測っていないという
小理屈を並べる人がいますが、
そういうことじゃないんですよ。社会は気運でできていますから。

数字だけでなく、本当に誰もが無視している、という状況。
これがいちばん怖いのですね。だから本気で観ないことです。

それは、実はテレビ局にとってもいいことなのだと思います。
民放テレビが低俗な番組ばかり作るのは、
そういう番組しか視聴者が観ないからで、
テレビ局も好きでそうしているわけではないでしょう。
(そう信じたいですね)

彼らが自分の子どもたちや、
未来の世代に胸を張れるような番組を作るためには、
その採算が合う必要があって、
採算というのはいつだって市場が決めているのですから、
それは生活者である我々の態度が決めているということなのです。

イヤな奴がテレビに出てきたら、消す。
チャンネルを変える。話題にもしない。

難しいですが、それを実行すれば、彼らはテレビに呼ばれなくなるか、
自らキャラクターチェンジをすることになるでしょう。

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