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「人間」という自然現象と「人新世」の終わりについて

最近、斎藤幸平さんの本でも有名になった
「人新世(ひとしんせい)」という言葉があります。

これは地質学的な時代を表す言葉で、
先カンブリア時代とか、古生代、中生代、新生代などという言葉を
聞いたことがあるのではないでしょうか。

「人新世」は、そんな地質学的に表した「現代」を意味する言葉で、
人間が自然や生態系、地球など、あらゆるものに
影響を及ぼすようになった時代という意味です。

皆さんも、「地層」というものをご存知でしょう。
それぞれの時代の特徴が地層に残っているため、
古い時代の地球の様子を知るのにとても重要な手がかりになりますよね。

では、人新世と言われる今をずっと先の未来から見た時、
果たして現代を表す地層はどうなっているのでしょうか。

鉄やコンクリートでできた地層なのでしょうか。
いや、そもそも我々が生きている「今」は、
そのとき地層になっているのでしょうか。

私たちはよく、自然と人工物を区別しますよね。
人の手の入ったもの、人が作ったものを人工といい、
人の手が及んでいないものや、
木や草、動物たちの世界を自然と呼んでいます。

確かにそれは、我々、人間からみると正しい区別であるように思えますし、
私も基本的にその考えに同意しています。

けれど、そんな地球の様子を大宇宙から見るとき、
地球に生命が生まれ、やがて人類が誕生し、
そしてそこに文明が育つことも自然なことかも知れない。

そんな気もするのです。

だって、我々が機械によって作ったり、科学によって作り出すものも、
基本的にはこの地球に存在しているものを材料にしているのであって、
(いちぶ、そもそも地球にはなかったものも合成されていますが)
その視点からみると、どんな人工物も、自然物なのかも知れない。

鉄筋コンクリートの高層ビルも、張り巡らされた地下鉄網も、
シロアリが長い時間をかけて巨大な蟻塚を作るのと同じことかも知れない。

ふとそんなことを考えてしまうときもあるのです。

例えば、宇宙に浮かぶ星にも一生があることは知られています。
星の一生は、質量が重い星と軽い星とでちがうらしいのですが、
ここでは重い星を例にだしてみます。

専門家ではないので、ものすごく大まかに話しますが、
星の内部では、人間には想像もできないほどの
ものすごいパワーのエネルギー活動がなされています。

熱で起こる対流は膨大な時間の中で発生し、
やがて冷えたり、エネルギーを使い果たしたりして変質していきます。

星は年老いると質量がどんどん増し、
最終的には自分の質量に押しつぶされて、
つまり自分の重さに耐えられなくなって、爆発してしまいます。

この爆発を超新星爆発といって、星の最後と言われています。

私が注目したいのは「自分の重さに耐えられなくなる」という部分です。
もちろん星は物体なので、
なんらかの意思を持ってそうしているわけではありません。

この現象はすべて自然な現象であって、その工程は自然な流れなわけです。
自然物は自らの変化によって最後は自らを破壊するのかも知れない。

そんなことを考えてしまうわけですね。

さて、話をいろいろなところに飛ばしてしまいますが、
できればついてきてください。

突然ですが、1000年後の未来を考えてみましょう。
具体的には3021年のことですね。

どうでしょう。想像もできないほど先のことと思いますか?
でも、その時は確実にやってくる、というのが厳然たる事実です。

そのとき、この地球上に人類がいてもいなくても、
西暦3021年相当のときは来る。
そんなこと、普段はあまり考えないですが、今日は考えてみましょう。

西暦3021年。
そのとき、我々はまだこの文明社会を維持できているでしょうか。

では、1000年前はどうでしょう。
1000年前というのは、西暦1021年ですね。
ネットで1021年の出来事を調べてみましたが、
皆さんがよく知っていることは起きていないようです。
平安時代、後一条天皇の時代で、元号は寛仁から治安とのことです。

このころのよく知られている出来事でいえば、
1192年の鎌倉幕府ですが、それよりも171年も前のことです。

当然のことですが、この頃の日本には電気も水道もないわけで、
人間が生きていることで地球環境に与える影響というのは、
自然が吸収できる範囲に収まっていて、
ほぼゼロだったのではないでしようか。

その頃から現代までのこの1000年での人類の変化量を考えると、
1000年後、とうてい人類がまだ地球上に存在しているとは考えにくい。

そう思いませんか?
少なくとも、GoogleもFacebookも、
1000年後まで存在しているとは思えません。
だって1000年前から今でも存在しているものって、
ほとんどないですもんね。

人類のここ1000年の地球環境への影響の飛躍的な増進をみると、
次の1000年を迎える前に地球環境が人類によって破壊し尽くされることは
容易に想像できませんか?

人類が生まれ、言語を生み、脳を発達させて文明を築き、
その進化と自らの欲望のせいで地球環境を破壊し、最終的に絶滅する
というストーリーは、もしかするととても自然な出来事なのかも知れない。

それは人体に感染したウイルスが、
増殖の末に宿主そのものを殺してしまうのと同じことなのかも知れない。

そんなことを思ってしまうのです。

そうなると、先日発表されたIPCCの第6次報告書も、
自然な出来事だと解釈することもできるわけですね。

人類はひたすら絶滅への道を直進しているのだと。
それが自然の摂理なのだと。

しかしまた、こうも考えられるのではないでしょうか。

人類は文明を進化させるだけでなく、科学を発達させて、
さまざまなことを解析してきました。

アインシュタインの相対性理論なども、そのひとつでしょう。

相対性理論が説明していることはとても難解で、
まるで神秘のような話ですが、
実は宇宙で起きている自然の法則に過ぎないわけです。

大宇宙の星々は、自分でも理解しないそのルールに従って、
なされるがままに誕生し、移動し、死んでいくのです。
しかし、人類はそこにルールが存在することを発見し、
そのルールがどんなものであるかを解析しようとしてきたわけですね。

地球は太陽系の3番目の天体であることを知っているのは、
地球上に人間だけです。

今日が何月何日で、今が何時何分であるかを意識できるのは、
この大宇宙の中で、人類だけなのです。

いま、あなたの傍にいる可愛い犬や猫は、
あなたと意思疎通はできているかも知れませんが、
自分のいる場所が日本であることなど知らないし、
ましてや地球という天体の上であることなど、知る由もない。

人に「意識」や「意志」があるというのは、
人類だけが獲得したものなのです。

つまり、人類だけが、この宇宙でいったい何が起きているのかを探究し、
過去を調べ、未来を予測できる存在なのだとしたら・・・

少なくともこの地球上ではまちがいなくそうなわけですが、

我々は、自らの自然な流れから来る絶滅という未来を予測し、
その運命を変えることができるかも知れない。

我々が今、SDGsとか、気候変動がどうとか、
脱成長とか、ポスト資本主義とか、
いろいろなことを言って「今までの流れ」を変えようとしているのは、
そういうトライアルなわけですね。

それはもしかすうると、ウイルスが、自らの保存のために
宿主を殺さない程度に弱毒化する変異を遂げるのと
似たことなのかも知れません。
ウイルスに意思があるかどうかは、わかりませんが・・・。

今、我々が存続のために何をしなければいけないかは、
科学的にはわかっています。
それができない理由は、「経済」であり、「カネ」であり、「欲望」です。

果たして人類は、克服することができるのでしょうか。
残された時間は長くありません。

しかし、我々は、挑戦するしかないのです。

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