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ワクチンに関する本音

さて、今日はちょっと勇気を出して
ワクチンに関する本音を書いてみようと思います。

批判もあるかと思います。

私は、まだコロナのワクチンを打っていません。
ものすごく強い意志があるわけではないのですが、
どこか心の中にモヤモヤがあるのです。

それは、近頃そこかしこで話題の
例のワクチンの本の影響などではありません。
もちろん「副反応があるかも知れない」ということも、
「思ったより効き目が長く続かない」ということも、
少しはあるのかも知れません。

でも、それがメインの理由ではないのです。

自分でもよくわからなかったモヤモヤを
ひとつひとつ紐解いていったら、
自分がなぜワクチンを打ちたいと思っていないのか、
その理由がわかったのです。

兼ねてより発信していますが、私はこのコロナが、
人類にとても大切なメッセージを発していると考えています。

それは、自然を敬いなさい、ということ。
力づくで人類の思い通りにしようとしてはいけない、ということ。
科学やテクノロジーの力で、地球をねじ伏せようとしてはいけない。
支配しようとしてはいけない、ということです。

いくら忠告しても、人類はそれをやめなかった。
その結果、このパンデミックが起きている。
いや、このパンデミックもほんの一部でしかない。
これは、人類による地球変動(そんな言葉はないですが)の
一種だと思うのです。

その原因を端的に言えば、いき過ぎた資本主義です。
そしてその中枢をなす人間の欲望と弱さ。
それが、地球を傷つけつづけてきたことが
こういうカタチで我々に返ってきている。

人類は思い上がった行動によって、猛烈なしっぺ返しを受ける。
その過ちを、なんどもなんども繰り返している。

福島の原発事故だってそうですよね。
原発なんて作らなければ、あの事故は起きなかったのです。

人類は、もう気づかなければいけない。
もうそれほどチャンスは巡ってこない。

これはもしかすると最後のチャンスなのかの知れない。

そう思っているのです。

ともすると人間たちは、新型コロナウイルスのことを
極悪な存在だと思っているかも知れません。

けれど、ウイルスの立場になってみてください。

彼らは人とは関係のない自然の中に住むコウモリの体の中で、
コウモリたちと共生しながら生きていたのです。(諸説あり)

彼らは人間に寄生したくて寄生しているのではなく、
コウモリだと思って入ったら、なぜか別の生物(人間)だっただけです。

宿主を殺したくて殺しているのではない。
コウモリは死なないのでしょうから。

人間が自然界にあるべき「壁」をどんどん破壊してしまったから、
彼らは人間に寄生することになった。
彼らは自らの生存のために、変異を続けるしかなくなった。

彼らも生き抜くために必死なのです。
そういうことですよね。

そういう中で、人間に都合の悪い存在が現れたから、
それをワクチンの力で力づくで排除するというのは、
果たして本当に正しいことなのかが、わからないのです。

もちろん、医療や医学を否定したいとは思っていません。
私も今までたくさんお世話になってきました。

だから私も、こう言っていても、
明日にはワクチンを打とうと決心しているかもしれない。
けれど、それは、本当の、本来の、
コロナ撃退法ではないと感じているのです。

私は素人なのでまちがっているかもしれないですが、
コロナは感染症なので、感染するルートを断ち切れば
この騒動は収束するはずだと思うんですね。

それは、ある一定期間だけ、
人間が他者に接触することを完全に断つということです。

人が人と接触することによってのみ、
ウイルスは拡散します。
もちろんこれは物理的接触のことではありません。

いわゆる「密」と呼ばれている状況です。

ウイルスのキャリアになった人を完全に隔離し、
その人たちに適切な処置をすれば、
時間と共に感染症の問題は必ず解決するはずです。

ウイルス感染の仕組みは、それほど複雑な物ではないでしょう。

問題は、対抗策がシンプルながら実施が難しいということだけです。
でも、やるしかないのです。

本来、このパンデミックから人類が学ぶべきことは、
ニューノーマル、つまり、新しい生活習慣を作ることです。

それは、もし新しい感染症が発生したとしても、
それが一部の地域から世界に広がらないように、
人間の活動の範囲をもっともっと狭めることです。

どれくらいの範囲が適正なのかは、私にはわかりません。

しかし、人間の活動範囲の拡大は、イコール経済の拡大なのであって、
つまりこれは経済をスローダウンさせよ、
というメッセージと同義なのです。

短期的な利益を追及する現在の資本主義は、
すっかりやめるか、もしくは中身をアレンジして、
地球に負荷がかからないサイズまで小さくしなければいけないのです。

それが本当の「持続可能な社会」です。

我々はその方向に向けて、
ほぼあらゆることをシフトチェンジしなければいけない。
それなのに、ワクチンを打って、もとのくらしを取り戻そう!というのは、
はやりどこか「力づく」な人間の傍若無人ぶりを感じてしまうのです。

それが、私がワクチンを是とできない理由です。
ワクチンなしでも収束できる範囲まで、
人間が活動を譲歩せよ。考え方を変えよ。

そういう意味です。

いま、日本はもちろん、世界中で、
学校に通う子供たち世代がコロナの大きな影響を受けています。

彼らの貴重な2年間は、二度と返ってきません。

さて、この現象をあなたはどう捉えていますか?
例えば、地球温暖化によって海面上昇が起こって、
海抜が低い国は沈んでしまう、という話がありますよね。

ツバルなんかがそれです。

しかし、自分が住んでいる国では、まだ海面上昇のリアリティがない。
ツバルはかわいそうだけど、どこか遠くの国のことだから、
ツバルが犠牲になっているという実感がわかない。

そんな人が多いと思います。

では、あなたのご家庭で起きている子ども達の学校の現象は、
一体何でしょうか?

彼らのこの2年は、彼らの一生に必ず影響します。

身近にいる彼らは、ツバルとそこに住む人々と同じように、
地球温暖化や、気候変動の犠牲者なのですよ。

彼らの2年は「犠牲」なのです。
資本主義の。我々の暮らし方の犠牲です。
大人は子どもたちの未来をこうしてリアルタイムで犠牲にしながら、
それでもワクチンを打って暮らし方ではなく、
コロナを屈服させようとしている。

けれど、こうやって、我々の愚行の犠牲者は、
どんどん身近になっていきます。

犠牲の種類は様々です。
だからこそ、我々は頭をつかって、想像力を鍛えて、
何が起きているのか、その本質をよくよく考えないといけないわけですね。

ワクチンを打つのは決して悪いことではないですが、
ワクチンを打つより先にやらなければいけないことは、
生活習慣を根本から変えることです。

そう決断することです。

コロナがこれ以上広がらず、
人類がこれからも持続していける暮らし方を
手探りで探さなくてはいけないのです。

そのとき重要なのは、自然に譲歩することです。
決してテクノロジーの暴力で自然をねじ伏せようとしてはいけない。

なぜなら、それは、必ず失敗するからです。
そして失敗すると、取り返しのつかないことが、
我々自身や、未来の世代に起こる。

コロナを変化のチャンスに変えられるか。
人類が問われているのは、そういうことなのだと思います。

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