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【小説紹介】背骨も肺もある不幸

 小説は刺激物である。綴られた活字はしばしば頭蓋骨を貫通して、脳を熱し、溶かし、完膚なきまでに叩きのめす。そして質が悪いことに、中毒性がある。高倉は小説からしか得られないこの刺激を愛している。
 しかし、しかしだ。それにしたって刺激が強すぎやしません!?と叫びだしたくなる本がある。否、叫ぼうにも叫ぶ膂力すら奪われて、立ち直るにかなりの時間を要した本だ。表紙を見るだけで沈痛な溜息が漏れる。
 そんな高倉的劇薬を三冊、今日は紹介させて頂きます。是非にみんなで読んで、みんな抜け殻になってください。


伊坂幸太郎著「フーガはユーガ」

2019年度本屋大賞ノミネート、伊坂幸太郎が紡ぐ最強双子の長編小説。
勉強が得意で穏やかな兄・優我と、運動が得意でやんちゃな弟・風我。双子の兄弟である2人は、暴力をふるう父親と無関心な母親という厳しい家庭環境で育つ。しかし、彼らは1年に1度、誕生日の日に特別な能力が使えるのだ。そして、自分たちの不運な境遇を、2人の強い絆と不思議な力で乗り越えていく。

書店員のレビューより引用

 伊坂幸太郎先生作品は、凡ゆる物語が絡み合いながら美しく収束する爽快で痛快な勧善懲悪物語が多い。代表作の「ラッシュライフ」や「マリアビートル」辺りはまさにそう。だから「フーガはユーガ」もそうだと思い込んで読んだ。
 主人公の双子、常盤優我と常盤風我は環境に恵まれず、常に悪意に晒されて生きてきた。もがいてももがいても逃れられない。暴力と犯罪が足元で蟻地獄を作っている。それでも彼らがスレずにグレずに、誕生日だけ使える特殊能力を必ず善のために使おうとするあたりは希望だ。彼らは間違いなくヒーローで、勧善懲悪をやり遂げる。待っているのはハッピーエンドだ。
 しかし、ハッピーエンドは傷を癒さない。父に殴られた傷、母に無視された傷、いじめを受けた傷、性暴力を受けた傷。負った傷と悪に下された制裁が、どうしたって釣り合わない。読後、本の表紙を飾るタイトルに涙が止まらなくなった。
 物語に現実感があるだけに辛い。そんな物語でした。高倉は読後一週間寝込みました。おすすめです。

櫛木理宇著「少女葬」

一人の少女が壮絶なリンチの果てに殺害された。その死体画像を見つめるのは、彼女と共に生活したことのあるかつての家出少女だった。劣悪なシェアハウスでの生活、芽生えたはずの友情、そして別離。なぜ、心優しいあの少女はここまで酷く死ななければならなかったのか? 些細なきっかけで醜悪な貧困ビジネスへ巻き込まれ、運命を歪められた少女たちの友情と抗いを描く衝撃作。『FEED』改題。

新潮社HPより引用

 「フーガはユーガ」が蟻地獄に負けじともがく少年たちの物語だとしたら、「少女葬」は蟻地獄の底で最悪と最善を引き当てた少女たちの物語だ。
 暴力も窃盗も日常茶飯事、道徳なんか期待する方が愚かしい劣悪な環境。そんなシェアハウスでたまたま出会った二人の少女、伊沢綾希と関口眞実はそこを地獄と自覚していて、いつかこの地獄を脱出する夢を見ている。二人は同じ場所に立っていた筈なのに、性格ひとつ、判断ひとつ、出会いひとつで、行き着く先が天国と地獄ほど開いてしまった。
 彼女たちの顛末に、ピンボールを思い出す。出発点は同じでも、球の形、当たるピン、弾ける角度の違いで、ボールは全く違うゴールに辿り着く。そこに運命などという大仰なものは無い。たかがピンひとつ、たかが力加減ひとつだ。しかし運命だとでも言わないとやっていられない。あの時あの言葉を言えていたら、あの時あの人に出会っていなければ、あのレストランで再会できていたら。些細なピンのズレ、ちょっとの球の傷が、導いた先で彼女にもたらされたのが暴力と死だった。
 伊沢綾希は関口眞実だったかもしれないし、関口眞実は伊沢綾希になり得た。高倉だってこの蟻地獄に転落し得る。たかがピンひとつなのだ。

斜線堂有紀著「本の背骨が最後に残る」

本を焼くのが最上の娯楽であるように、人を焼くことも至上の愉悦であった。
その国では、物語を語る者が「本」と呼ばれる。一冊につき、一つの物語。ところが稀に同じ本に異同が生じる。そこで開かれるのが市井の人々の娯楽、「版重ね」だった。どちらかの「誤植」を見つけるために各々の正当性をぶつけ合う本と本。互いに目を血走らせるほど必死なのはなぜか。誤植と断じられた者は「焚書」、すなわち業火に焼べられ骨しか残らないからである。(表題作)他「痛妃婚姻譚」「金魚姫の物語」「本は背骨が最初に形成る」など7編収録。

光文社公式より引用

 衝撃的だった。正直、この記事を書いているのはこの本を読んだ所為だ。
 斜線堂有紀先生の本が好きだ。計り知れない巨大な感情が、坂を転がり落ちるよう球のように自然に、逃れようもなく破滅へ誘う。そうして落ちた谷底に一縷の希望を垂らしてくれる、そんな斜線堂先生の小説が好き。「君の地球が平らになりますように」や「私が大好きな小説家を殺すまで」は読みながら震えた。しかし、恐怖はなかった。
 「本の背骨が最後に残る」は短篇集だ。怪奇幻想ホラー小説、と分類されるらしい、陳美ながら醜悪、苛烈で残酷な物語が七篇。斜線堂先生らしい巨大な、美しくも醜い感情がとぐろを巻いているが、それ以上に、暴力の表現が鮮烈で、思わず涙が出た。
 本を焼くことが娯楽だなんて、考えたことは一度もない。まして人を焼くだなんて恐ろしいこと、想像だってしたくない。
 この本の中で振るわれる暴力は、娯楽であり愛であり合理性に乗っ取っている。焚書を見守る人間は全員本が大好きで、物語が火の中で焼け落ちてゆくのを楽しんでいる。館の中で子供を一方的に追い詰めて蹂躙するのを娯楽とし、抱えきれない痛みを女に肩代わりさせることに合理性を見ている。理解し難い、と思いたかった。
 恋人の首を絞めた夜を思い出す。噛みついた首筋を、そのまま噛みちぎりたかった衝動を思い出す。焚書はもしかして、この衝動の先にある。あの時、もしもベッドの横に万力があったら、彼女の手を潰したいと思ったかもしれない。
 恐ろしい本だった。高倉はこの本のことをずっと忘れないだろう。例えこの本が焼かれても忘れない。私自身が焼かれるまで。或いは、焼かれても尚。

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