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【映画記録】天国はアイオワのとうもろこし畑にある

 野球のことが好きではなかった。

 ルールは義務教育で習った気がするが、正直全然覚えていない。ボールをかっ飛ばせばいいということは分かるが、フィールドを何の為に駆け回っているのかは分からない。点数はボールの飛距離で決まるわけではないらしい。審判がセーフと言えばセーフ、アウトと言えばアウトなのだろう、というぼんやりとした認識はあるので、いつ喜んでいつ悲しめばいいのかは何となく分かる。たまに間違えるが。
 ルールを知ろうとも思わないのは、高倉が元吹奏楽部で、特に親しくもなければ興味も無い野球部の応援に駆り出された恨みがあるからだ。クラリネットは直射日光に弱い。あの数日で愛器がどれだけ傷んだかと思うと悲しくてならない。そこまでしたのに、野球部は吹奏楽部のコンクールには来やしない。来てほしいとも思わないが、応援しないなら応援させるなと思う。
 そういうわけで、野球という文化に対しては一線を引いていた。世間話に応じられる程度の情報収集はするが、それ以上は知らない。オオタニサンが最近酷い裏切りにあったらしいということは知っているが、野球人として何がすごいのかは分からない。

 しかし、認識を改めなければならないかもしれない。

 映画「Field of Dreams」を観たのだ。

“農場を野球場にすれば、彼がやって来る“。そんなお告げに従って、持っていたトウモロコシ畑をつぶした農夫。彼の目の前に現れたのは1952年に死んだ伝説の大リーガー、“シューレス“ジョー・ジャクソンだった。ジョーは、農夫の亡き父親にとってのスーパースターなのだが……。ファンタスティックなシチュエーションで描き出される父子愛の物語。

映画ナタリーより引用

 以下、ネタバレを含みます。ネタバレやだよう名作観る前に偏見浴びたくないようという方はどうぞご自衛ください。




 夢と現実は地続きだが、そこには超えられない一線がある。
 野球は長く、少年の夢であり続けた。社会不安が立ち込めていた1960年代も、平和を取り戻した1980年代も、社会情勢が、常識が、価値観がいくら変わろうと野球は変わらない。
 野球選手になりたかった少年の夢。野球選手になったはいいが、活躍できないまま引退して町医者になった老人の夢。八百長疑惑をかけられた、誠実な野球選手の夢。まだ、まだ、野球をしたかった、数多の野球人たちの夢。
 レイ・キンセラが作った野球場には、あらゆる時代の野球人が訪れる。一時代を築いたあの有名選手が、かつて活躍できなかったあの若手選手が、仲直りできなかった父親が。全ての、野球をしたい、という夢が叶うのだ。

 打席に立ってピッチャーをにらみ彼が構えに入ったらウインクする。
 まぶしくて目が痛いほどの青空、ボールを撃った時の腕の感覚、二塁で止まらず果敢に頭から三塁に滑り込みベースを腕で抱き込む。
 でも夢は夢のままで終わるのさ。私はここで生まれ悔いなくここで死ぬ。

映画「フィールドオブドリームス」より引用

 野球場で野球に勤しむ亡霊たちは、野球場から出られない。野球場と現実世界の間には線が引かれていて、そこを超えると夢が終わる。折角ウインクをキメた野球少年も町医者に戻る。それが現実であり、夢見る町医者は現実のことも愛している。

 夢は必ずしも叶わない。それでも、夢は或る。
 街頭もろくにない真っ暗なとうもろこし畑の真ん中で、ライトに煌々と照らされた野球場は、まさに、天国のようだった。野球は夢で、野球場は天国。言葉も何も要らない、野球がしたいという衝動。本は時代を超えれば悪書として燃やされる可能性だってあるが、野球はその限りじゃない。間違いなく、永遠の、夢。

 野球、美しい夢だ。今度マツダスタジアムでカープの試合があったら、見に行ってみたいかもしれない。

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