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なぜ「私の癒し」と「世界の癒し」と「地球の癒し」は不可分なのか?

mindful.jpにて行われた20020年12月1~25日にアドベントカレンダーという25名による25日間のリレー記事。その25本の中から人気記事と思われる記事への「スキ」の数トップ5(2020年12月30日時点)、第3位の紹介です。

第3位 マインドフルネスをしていると“ティール“になれるのか? 〜10分でわかるマインドフルネスとインテグラル理論〜-柏原 里美- 

人気第5位の「がんばりすぎない生き方」に続き、タイトルがとてもキャッチ―です。すぐに読みたくなります!

『ティール組織』をきっかけに注目を浴びているインテグラル理論。
「意識研究のアインシュタイン」「現代の最も重要な思想家」とよばれるケン・ウィルバーの「インテグラル理論」が複数の書籍からの引用と分かりやすい解説で展開されます。以下、心に残るフレーズがたくさん。

”ちょっと筆が乗ってきたので、「発達」について私のお気に入りの言葉をいくつか紹介します。

   「発達とは、自己中心性が次第に減少していくことであると定義できる」
   (『インテグラル理論』ケン・ウィルバー著、加藤洋平監訳、門林奨訳 p68)

「発達の螺旋とは、思いやり(コンパッション)の螺旋でもあるのだ」
   (『インテグラル理論』ケン・ウィルバー著、加藤洋平監訳、門林奨訳 p77)

「発達(デベロップメント)とは、包み込むこと(エンベロプメント)なのである」
   (『インテグラル理論』ケン・ウィルバー著、加藤洋平監訳、門林奨訳 p85)

これらは好きな言葉であり、私が勝手に希望を受け取った言葉でもあります。”

そして、展開される個人的な話。ここで読者の集中力はぐーんと高まります。

”そう、だれよりも身近な自分という存在を受け容れ、包み込むことができていませんでした。
今になって思えば、母の病や言動もさることながら、自分を認められなかったことが何より自分を苦しめていたのだと思います。”

発達、成長とは何か?

いったい発達、成長とは何なのでしょうか?
以下の言葉は、一般的に私たちが持つ発達、成長のイメージと異なるのではないでしょうか。

”そして、「発達」「成長」という未来に向かっていくことと、自分を癒し、受け容れていくことは、同じ方向にあるものなのだなと、感じられたのです。
「発達・成長すること」=「自分を大切にし、癒し、受け容れていくこと」この2つがつながったような感覚を得ました。”

「私の癒し」と「世界の癒し」と「地球の癒し」は不可分

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欠乏、豊かさの脱却は、自己肯定感・創造性を高めることであり、それこそがエコロジー。
これを理論的に語っているのがインテグラル理論やトランスパーソナル心理学。

なぜ、私の癒し、世界の癒し、地球の癒しは不可分なのか?
国際的な活動家でファンドレイザーのリン・トゥイストの言葉が私たちのライフスタイルを的確にとらえています。

”私もそして多くの人々も、朝、目覚めて最初に思うことは、「寝不足だ」、その次に「もう時間がない」。
まだ足りないという思いは、疑問をもったり分析したりする以前に、ひとりでに浮かんできます。私たちは人生の多くの時間を自分に足りない者について聞いたり、説明したり、不満をいったり、心配したりすることに費やしています。ベッドから起き上がってまだ足が床につかないうちに、すでに不完全だったり、遅れていたり、失っていたり、何かが欠けていたりするのです。
夜、ベッドに入る頃には、その日、得られなかったもの、できなかったことが脳裏を駆けめぐる。そんな想いに沈んで眠りにつき、翌朝、目覚めてまた何かの欠けに気づく。この内なる欠乏、つまり欠乏感こそ、嫉妬や貪欲、偏見、人生への不満の根源なのです。”
出典:『ソウル・オブ・マネー』リン・トゥイスト(国際的な活動家でファンドレイザー)

人間の生存本能として足りないところに目がつくのは当然のことかもしれませんが、ここを刺激し過ぎていることはないでしょうか。

無限の消費と発展を求める社会は、人々を、地球を疲弊させる

「無限の消費と発展を求める社会は、人々を、地球を疲弊させる。発展は幸福のためになされなければならない」。"世界でもっとも貧しい大統領"として知られるウルグアイのムヒカ大統領が、2012年のリオ会議(地球サミット)で行ったスピーチが思い出されます。

”なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。”
出典:“世界一貧しい大統領”ムヒカ氏が語った、「本当の貧しさ」とは?
ムヒカ大統領がリオ会議(地球サミット)で行った名スピーチ (2012)

"世界でもっとも貧しい大統領"と言われることにこのように答えます。

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「貧しい」とは「必要としすぎる者」だと私は定義している。
なぜなら彼らは満足することはないからである。
私は質素だが貧しくはない。質素だ。

足るを知るという言葉が想起されます。

欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない

とはいえ、欠乏感をエンジンにしてしまうことが多い。
この「欠乏」とは何なのでしょうか?
欠乏の反対を考えることにヒントがあります。ヒューストン大学ソーシャルワーク大学院の研究者ブレネー・ブラウンさんはこう言います。

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欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない。むしろ豊かさとは欠乏のコインの裏と表。「足ることを知らない」欠乏感の対極にあるのは、充足感であり、「偽りのない心」

愛情をエサにコントロール、条件付きの愛情

しかし、なぜここまで欠乏感に動かされてしまうのでしょうか。そこには評価・褒めること、私たち自身が無条件の愛情ではなく、条件付きの愛情で接していることに起因します。
子育てなどで、叱ることの問題点が明らかになっていますが、褒めることも同様に問題があります。
どちらも、愛情をエサにした関り方、条件付きの愛情なのです。
カナダの児童発達学博士の島村華子さんはこう言います。書籍は2020年の子育て書籍のベストセラーです。

”私はモンテッソーリ教育の教員としてカナダで勤務し、「褒美」と「罰」は同等であるだけでなく、子どもにとって本来は必要のないものだと身をもって体験しました。
子どもたちが「ごほうびシール」を得るため、あるいは大人からの罰を避けたい一心に行動したとすると、子ども自身がもっている好奇心や興味を見極めるのは非常に難しくなるからです。(中略)
つまり、ほめるという行為で褒美を与えることは、罰と同じように、無意識であったとしてもやり方によっては子どもたちの行動やモチベーションを外的にコントロールし、その子の本当にやりたいことの妨げになる可能性があるということを教員経験が気づかせてくれたのです。”
(出典:『モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くしたオックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方』P.4-5、2020年

評価、褒めることで、恥が人生を乗っ取る

先ほどのブレネーブラウンも、評価、ほめること、恥が人生を乗っ取ると言います。

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”では、高く評価された場合はどうなのか。個人的経験から、また、専門家としての経験から言わせてもらうと、もっとややこしいことになる。自分の価値を他人の評価にゆだねたとき、恥はあなたの人生をのっとり支配するようになる。初めのうちは評価を心地よく感じるかもしれないが、「有能であれ、完璧であれ、人を喜ばせよ」という呪縛から逃れなくなるだろう。”

"完璧主義者には子どもの頃から成績や能力をほめられて育った人が多い。その過程のどこかで、この身をすりへらす危険な信念体系を身につけてしまったのだ。「何をどれだけうまく成し遂げたかで、私の存在価値は決まる。人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ」。健全な努力は「どうすれば向上できるか」と自分に目を向けるが、完璧主義は「人からどう思われるか」と他人に目を向ける。完璧主義はむなしい発奮でしかない。”
(出典:『本当の勇気は「弱さ」を認めること』ブレネー・ブラウン)

教育はエンジニアリングよりガーデニングにずっと近い

改めて、外発的な動機よりも、内から沸き上がる内発的な動機の大切さを感じます。これは子育てだけではなく、植物、農でも同じに思います。
ケン・ロビンソンは、映画「Most Likely To Succeed」でこのように言っています。

ケン・ロビンソン: 創造性とイノベーション、能力開発の第一人者として世界的に活躍。TEDカンファレンスでのプレゼンテーション「学校教育は創造性を殺してしまっている」は、TED史上最高の5000万再生超。英国ウォーリック大学で芸術教育の教授を務め、現在名誉教授。2013年に経営思想家トップ50人「Thinker 50」に選出
ケンロビンソン
ケンロビンソン2
”教育とは複雑で人間的なシステムです。人間についてのものですから。
自然から生まれた生物です。有機的な生命体なんです。人間は成長し進化し変化します。

工業にたとえようとすると、工業の言葉にとらわれてしまいます。つまり標準化を語るための言葉です。

しかし、実際には教育はエンジニアリングよりガーデニングにずっと近い。

あなたが庭師なら植物に育てと命令することはできない。
植物は自分で育つんです。
葉っぱを接続したり、花びらに色を塗ったり、根っこをねじ込んだりはできませんね。”
”人材というのは天然資源に似ています。それは埋もれているものなのです。自分に力を与えるもの、好きで仕方ないこと。それは押さえつけても沸き上がってくる。”
出典:映画「Most Likely To Succeed」ケン・ロビンソン

そんな子育てての具体的なエピソードは、もしまだ未読であれば、人気トップ4の記事をご参照ください。
私達は、こどもたちは、空っぽのバケツで、そこに何か入れていくものではなく、球根だと思ってみる。何色の花が咲くか分からない、いつ咲くか分からない。そういう見方が求められています。
だから、次の言葉もとても大切に思います。

こういう「その時でなければ経験できないもの」って大人になってからもあると思うんです。
そして、(たとえどれだけ身近な人であったとしても)それぞれのタイミングでしか経験できないことを思う存分味わう権利を、誰も奪ってはいけない! そう強く強く、お伝えしたいです。

「発達はゆるやかであるべき」
これは発達心理学者のジャン・ピアジェの言葉です。
というのも、発達ってすばらしいことだけではないからです。

以下、とても熱い想いが伝わってきます。何度も読みたくなります。

喜びも幸せも、自分が何を感じているかに目を向けることで得られるものだと思うのです。
今、この瞬間の自分に意識を向けてみると、どんな感覚がわきあがってくるでしょうか。
幸せを感じていますか? 喜びを感じていますか?

もし、誰かが「いい」と言っていても、それが自分にとって必要じゃなければ、それを手に入れるための「ゲーム」は自分でホイッスルを吹いて終わらせればいいだけのこと。

色々と狂った部分のある世の中だからこそ、
「あえて勝負から降りる」
「そもそも勝負に乗らない」
ことも大切なんだと思います。
今、この瞬間に注意を向けることは、自分への「愛」の表現。
そして、自分を「愛」で満たせるからこそ、他者への愛も生まれてくると思っています。だから、今、この瞬間、まずは他ではない自分の中に起きていることに目を向けてみませんか?

こうやって、みなさんと一緒に柏原さとみさんの文章を一部にはなりますが読めてうれしいです!ありがとうございました。

■Information

ぜひ全文を読んでください。

途中に触れた第4位の子育てエピソードはこちら

前回、第5位「がんばりすぎない生き方」を解説。

次は第2位です。第2位は、2度目の緊急事態宣言をもとに紐解きます。

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