新潮社を退職して、一人の「編集者」になりました。
昨日2021年3月31日をもって、新潮社を退職しました。
今日からは新しい会社に籍を置きますが、出版社という看板のない、ただの「編集者」です。
淋しくもあり、怖くもあり、どきどきした1日目を送っています。
新潮社は、新卒で入社してから13年間、僕に編集者としての全てを教え、育て、支えてくれた会社で、こと文芸に関しては日本一の出版社で、大好きな職場で、そこには感謝の気持ちしかありません。
週刊新潮での4年間は記者として、新潮文庫編集部での9年間は編集者として、たくさんの思い出があります。特に、6年半前に新潮文庫nexを創刊し、編集長となり、小説家が生み出す物語に触れ、時に担当編集として、あるいは責任者として作品に関われたこと、9年間で120冊以上の本を編集し1200万部以上を担当できたこと、とにかく楽しかったです。
小説編集の経験がほとんどなかった20代の僕の「新潮文庫nex」創刊の企画にGOサインを出してくれるなど、新潮社という会社は、今の時代にあってなお、新しい挑戦に寛容で、また、若手を信じる度量を失わない、稀有な出版社だと思います。(新潮社への想いを書き始めれば、5万字、10万字あっても足りません……。)
本当に、ただただ、感謝しています。
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そして今日からは、新しい職場です。
株式会社ストレートエッジにて、「編集者」として働きます。
(加えて、取締役として会社運営にも関わっていくことになります。)
ストレートエッジ、という会社をご存知でしょうか。
社名を聞いて、「?」が浮かぶ方が多いかもしれません。「新潮社」であれば、文庫、週刊誌、などなど、何かしらのイメージがあったり、刊行されている出版物を連想されるかな、と思うのですが、「はて、ストレート、エッジ?」……と。
ストレートエッジは、電撃文庫元編集長の三木一馬さんが2016年に立ち上げた会社で、端的に書けば「作家のエージェント会社」となります。契約作家には「ソードアート・オンライン」シリーズの川原礫さん、「とある魔術の禁書目録」シリーズの鎌池和馬さん、など、錚々たる小説家、イラストレーターがずらりと並びます。
ただ、これだけですと、やっぱり「?」ですね笑。
僕も三木さんに出会うまでは、どういった会社なのか理解できず、つまり「?」の状態でした。
個人的な理解を書きますと、ストレートエッジは「『作家』という才能が最高の『面白い』を生み出せるよう、その環境を用意する会社」です。もっとざっくり書けば「作家のための何でも屋」、あえて現代風に書けば、「IP(知的財産)の開発・管理会社」でしょうか。
さて、「?」だった会社、ストレートエッジに、僕が「行きたい」と考えるようになった理由は、大きく2つあります。
1つは「これから先、編集者として小説家に何を提示すべきなのか」を真剣に考えたから。そしてもう1つは「三木一馬、という人と働きたい」から、です。
「小説を世の中の多くの人に届ける」という点において、出版社という機能は絶大です。100年以上の出版の歴史の中で生み出されたシステム、作家・出版社・取次・書店・読者を繋ぐ道は、世界を見回してもそうはない見事な仕組みで、僕は版元で働く中で、そのシステムが持つ叡智に、強く強く感動しました。
(たとえば新潮社であれば、夏の「100冊」はじめ、新潮文庫の売り方や展開に関する知見と蓄積は圧巻で、新潮文庫nexというレーベルは、この「新潮文庫」の歴史なしにありえませんでした。)
しかし一方で、「小説」を取り巻く環境は厳しさを増しています。
この要因や状況は簡単にはまとめられないのですが、あえてシンプルに書けば、「紙の市場の縮小」と「電子で小説が読まれない(読まれにくい)」となります。
ここ10年ほど、電子書籍の可能性や、その売上増加が話題になりますが、こと「小説」というジャンルにおいては、それはあまり当てはまっていない、と僕は感じています。たとえば、「コロナ禍で本の需要高まる 電子出版が前年比30%近く増加」というニュースにおいても、売上増加の9割はコミックスが占め、活字、特に小説への波及は少なく、紙の売上減を電子媒体がカバーできるような状況にはありません。
コミックで多く生まれている「デジタルの方が紙よりも売れる作品」も、小説においては稀有で、紙と電子の売上を比較したとき、小説における主戦場は圧倒的に「紙」です。
昨年、最初の緊急事態宣言が出された日は、本屋大賞の発表の日でした。
多くの書店さんがお店を開けることができなくなり、ただでさえ厳しい小説市場において、作品を届けることが本当に難しくなりました。
「出版界は大丈夫ですか。書店さんはどうなるのでしょうか。そして小説家は、生きていけるでしょうか」
宣言の直後に、作家の知念実希人さんが電話で僕に話した言葉です。
僕は何も、答えられませんでした。
ここで、僕の転職の「理由」に戻ってくるのですが、上記の環境において、小説の編集者としてとるべき道は2つある、と自分は考えました。
1つは「徹底的に紙の本で勝負する」、もう1つは紙の本以外の「物語の届け方」を考え、作家に提案する、です。
一つ断っておくと、僕が世界で一番好きな娯楽は「小説」です。
漫画も映画もアニメもゲームも、そのほか様々なエンターテインメントも、ぜんぶ大好きで、毎週「週刊少年ジャンプ」を読み、Netflixでドラマを観て、ソーシャルゲームも多数プレイしますが、「一つを選べ」と言われれば、間違いなく「小説」と答えます。
そんな僕にとって、新潮社という会社で純粋に小説の編集を続けることは、たまらなく魅力的で、ずっと続けていきたい仕事でした。社内には尊敬するたくさんの背中があり、歴史に育まれてきた見事な出版システムもありました。だからぎりぎりまで「紙の本」を売るプロフェッショナルになる道を、考え続けました。
しかし。
1年経てば1年分、5年経てば5年分、小説の市場は厳しさを増しています。
小説をこれからも多くの人に届けるためには、あるいは「小説家」という才能を世の中に伝えるためには、編集者は「小説以外」の物語の形(それは具体的には、国内外の映像・配信・ゲームを含めた広義のエンターテインメントの世界です)と関わり、その中で小説家の「才能」と「物語」を繋げる役割を担わなければならないのではないか、もしくは、そうした存在になるべきなのではないか、と考えるようになりました。
小説執筆の依頼をするのは当然として、そこに+アルファの視線を持ち込み、提案をすべきなのでは、ということです。
小説のために、小説家に「小説以外」の提案もする、というのは一見、本末転倒に見えるかもしれません。
けれど、小説が大好きで、いちばんの娯楽と考えている僕にとって、日本の小説家の想像力が、作品が、世界に負けているとはどうしても思えなかった。エンターテインメントの垣根が取り払われ、コンテンツがより積極的に世界と繋がるようになる中で、出版界の「不況」が、作家の才能の限界かのように見えてしまうことが、何より悔しかった。
「私の中で、企画は『美しいか、美しくないか』がすべてです。私の仕事は物語を作ることだと考えているので、小説以外の媒体で展開する物語も、仕事として興味があります」
僕が「小説以外の創作に関する提案をしたら、どう思われますか」と、作家の河野裕さんに聞いたときの言葉です。
僕の中で、河野さんという書き手は小説の「文体」をとても大事にされている方で、そして文体とはまさに小説特有の要素で、「小説」以外の提案については、かなり否定的な意見が出てくるのではないか、と感じていました。
しかし、河野さんからは「文体のために書いている小説」と「ストーリーのために書いている小説」は別であること、また、最初から「コミックのため」「映像のため」という前提での仕事は、むしろやってみたい気持ちがあること、話がありました。その上で、それまで聞いたことがなかったいくつかの物語が語られ、いずれもが本当に魅力的な世界でした。しまった、と感じるとともに、その日まで、新しい提案をできていなかった自分を、恥じました。
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こうした一連の思考を経て、僕が改めて感じたのは、三木一馬さんという人の凄さ、です。
「ソードアート・オンライン」(川原礫著)を筆頭に、三木さんは作家が生み出す物語を、「世界」に繋げた経験がある人です。小説の編集者としてスタートしながら、アニメ、ゲームなどのメディア展開を主導し、その作品を他ジャンル、ひいては国外へと羽ばたかせています。
遠い背中だな、と思いました。
三木さんは僕の10年ほど先輩ですが、僕と三木さんの距離は「10年」などというレベルではなく、もっともっと遥かに遠いものです。このまま歩んでいては、編集者として三木さんの視野を持つことはとてもできませんし、それでは僕が担当する作家に、才能に、申し訳ない、と感じました。
そしてそれは、出版社という場所で本を作り続ける楽しさ、魅力を手放してでも、追いかけてみたい道とも感じました。
こうして、僕が編集者として感じていた限界と、三木さんという人の背中が結びつき、「ストレートエッジで働く」という選択をすることになりました。
もちろん、この行間には、本当にたくさんの悩み、迷いがありましたが、今この瞬間は、清々しい気持ちで「頑張るぞ」「やるぞ」となっています。
最後に、ストレートエッジに転職するにあたり、僕が今まで担当してきたいくつかの新潮文庫nexの作家・作品については、今後はストレートエッジが窓口を務めることとなります。
具体的には、編集者として作品に携わり、作家から原稿をいただき、あるいは、二次展開の窓口役として、実写化やアニメ化などを含めたメディア化に関わっていきます。
とはいえ、それは「編集」視点のお話で、読者の方々にしっかりと伝えたいのは、「既存シリーズは今まで通り、何ら変わりなく、新潮文庫nexから刊行されます」との点です。
つまり、読者の皆さん視点では、ここまでの長々とした話は「編集者もいろいろ考えるんだな……」程度に受け取っていただき、でも「関係ないな」で片づけていただき、本は今まで通り書店で、新潮文庫の棚で、見つけていただければ、と!
繰り返しとなりますが、以下のシリーズについては「続巻はこれまでと同じく、新潮文庫nexから発売されます」ので、ご安心ください。
(なお、「会社から離れる」という決断をしたにもかかわらず、引き続き担当編集として作品に関わり、窓口を担うことを許容してくれた新潮社には、この点においても感謝しかありません。窓口として役割を果たすことで新潮社の利益となる恩返しができるよう、全力で頑張りたい、と感じています。また、「新潮社」という看板のない、一編集者となる僕に、作品を預ける判断をしてくださった作家の方々に対しては、恐縮するとともに、これまで以上の責任と自覚をもって、仕事をしていかねば、と身が引き締まる思いです。)
下記のシリーズに関する僕の仕事は、今まで通り黒子として、小説が生み出されていく過程で作家のお手伝いをしたり、生み出された作品をより多くの人に届けるべく、出版社、書店、あるいは他業界の方々に協力を仰ぐことです。
今日からの僕の仕事は、2つあります。
1つは、僕が世界でいちばん面白いと思っている「小説」を、作家が生み出す素晴らしい作品を、読者の方々に届けていくこと。
もう1つは、作家の「物語」を生み出す才能を最大限生かせる場を、小説のみならず用意し、提案していくこと。(その先に、小説家という才能をより多くの人に知ってもらい、小説に興味を持ってもらえる環境を作ること。)
いずれにしても、僕は今までと同じく「編集者」であり、0から1を生み出せる人間ではありません。そんな凡人が、出版社という看板をなくして、どこまでできるのか。正直に言って、怖くて怖くて、仕方ありません。
「会社に席は用意する。役職も用意する。しかし、そんなものは表面上のことで、一編集者として好きにやって、結果を出してほしい」
今日から僕の上司となる、三木一馬さんに言われた言葉です。
一見寛大な言葉ですが、ぞくっとする話です。今日からの立場を思うたびに「新潮社」という看板の偉大さを、しみじみと感じます。
ただの「編集者」になったのだな、と思います。
それでも。
小説が好きで、大好きで、小説家という才能に惚れ込む人間の一人として、一人の編集者として、できることを一つ一つ、やっていこうと思います。
恐る恐る一歩目を踏み出したばかりですが、温かく見守っていただけると、嬉しいです。
ストレートエッジが新規に窓口を担当する作品
河野裕「階段島」シリーズ
『いなくなれ、群青』
『その白さえ嘘だとしても』
『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』
『凶器は壊れた黒の叫び』
『夜空の呪いに色はない』
『きみの世界に、青が鳴る』
河野裕「架見崎」シリーズ
「さよならの言い方なんて知らない。」1-5(以後、続巻)
知念実希人「天久鷹央」シリーズ
「天久鷹央の推理カルテ」1-5
『スフィアの死天使 天久鷹央の事件カルテ』
『幻影の手術室 天久鷹央の事件カルテ』
『甦る殺人者 天久鷹央の事件カルテ』
『魔弾の射手 天久鷹央の事件カルテ』
『火焔の凶器 天久鷹央の事件カルテ』
『神話の密室 天久鷹央の事件カルテ』(以後、続巻)
竹宮ゆゆこ
『知らない映画のサントラを聴く』
『砕け散るところを見せてあげる』
『おまえのすべてが燃え上がる』
『あなたはここで、息ができるの?』
『心が折れた夜のプレイリスト』
葵遼太
『処女のまま死ぬやつなんていない、みんな世の中にやられちまうからな』
最後になりますが、上記の窓口作品に関して、もしご興味を持っていただけるようでしたら、ストレートエッジの問い合わせフォームや僕のツイッターなど、どこでも構いませんので、ぜひご連絡ください。
小説家が生み出したこれらの作品を、さらに多くの人に届け、楽しんでもらえるよう、一緒に盛り上げていけたら、との思いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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