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今日が幸せだったので分析してみる

今、ものすごく幸せな気分だ。珍しく5時半に起きて1時間ゆっくりと支度して出発、10時から15時まで無報酬の肉体労働、遠くまで出かけたので少し観光して噂の食堂で遅めの昼飯。おかずを購入して21時帰宅。炭火で料理を食べて、気付いたら22時から23時まで寝てた。急いで今日のノートを書いているところ。

いつもはもっと時間に余裕のある、悪く言えばダラダラした生活をしている。そっちの方が肉体的には楽だし今日はクタクタで、おまけに炭の煙に燻されて臭くなっているけれど、不思議と精神はすごく伸び伸びしている。

「幸せ」は、頭の中で考えていちゃ手に入らないものなのかもしれない。自分の好きなもの(「快」の刺激を得られること)を見つけることは豊かな人生を歩むためには大事だが、それは、趣味であって幸せとは別物だと思う。

今の幸せ気分と普段の趣味を比較してみよう。

自分の趣味は旅行だ。他には登山と温泉巡り、他にはロードバイク、最近は野外料理ができるようになりたいと思っていてアウトドアに偏っているが、ゲームもするし。お出かけのログに使えるので位置情報ゲームをかなりやりこんでいたりする。あとアプリで漫画も読んだりも。色々、好きなことに没頭するのは楽しいが、それはそれで快の刺激を得るのに必死になりすぎて、目の前のことに没頭しすぎると時間が過ぎるのが早く、今の幸せな感覚とは時間の密度が違うように感じる。

本当のことを言うと、今日は途中つらいと思うこともあった。(趣味がアウトドアといったのと矛盾するようだが)肉体作業は全然体力が追いつかなくて「無報酬のお手伝いだから、自分のペース」が許されたが、そうはいっても役に立てていない不甲斐なさを感じて自己嫌悪に陥ってしまう。でも、それがあったからこそ、なのか。次こそは頑張ろう、少しずつトレーニングできたらなんて思っていたりする。


幸せに至るには、苦い体験も必要ということなのだろうか?

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