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私大入試本格スタート前々日に寄せて

星乃珈琲のパンケーキは旨い。

それはさておき、1/30である。関西圏も首都圏も私立大学の入試が明後日から本格的に始まる。

そう言えば、過去に担当してきた東京・神奈川私立中学入試の前でもあるし、高校受験は早慶附属の合否を占う立教新座高校の前でもある。それぞれの入試で担当した生徒たちも大学受験の年齢だ。みんな東進で俺の授業取ったかな。共通テスト対策現代文なんてバッチリハマってる講座なんだけどな
そう言えば、彼らが大学受験を迎えるまでに大手予備校(東進、駿台、河合塾、代ゼミ)で授業出来ていて、また出会えたらいいな、なんて思っていたことを思い出す。一応その目標は果たせたね。俺も3年間で彼らに負けず少しは成長出来たかな。

それはさておき、目の前の受験生だ。今年の生徒もよく頑張った。存分に蓄えた力をぶつけて欲しい。2023年の入試は一度きりだ。

だから前日にこれまで言ってきたことを改めて書こうと思う。出講先によっては授業の都合により言っていなかったりもするし。まあでも、長く書いてもなんだし、一言だけ。

結果=合格にこだわれ

「大学入試」は大学で学ぶことに向けた選抜だ。だから大学がどこであれ、学びたいことに近づければ良いという考え方がある。割と「学者」に近い先生方が仰ること。それ自体はごもっともだ。
しかし、個人的に「大学受験」というのは人生の通過点であり、しかもかなり高い競争率に晒される滅多にない機会だと思っている。何より周りが強烈だ。「そこに通いたい」「今年こそ合格したい」と強く願う人間達が結構な数、集う。競争倍率も高い。
だからこそ、その経験の中で得られるものは人生において非常に大きな意味を持つと思っているんだ。いや、その中で「結果を出したい」と思ってチャレンジすることと言うべきか。
何より、「欲しい物をなんとしても手に入れようとする自分」に出会うことは、望んだ結果が手に入らずとも何かを残してくれる。その何かとは?それは自分で確認して欲しい。

ちなみに俺は中学受験で恋い焦がれた第一志望に落ちたときにその「何か」に初めて出会った。その何かを6年温めて、大学受験ではリベンジできて、自分の最も求めていた結果を得られた。それを手にした時の気持ちであれ、得られた「何か」が人生において持つ意味はまた格別だった、とは言っておくよ。

結果は神のみぞ知る。いま君たちに出来ることは「最高の結果のために全力を答案にぶつけること」だけだ。
それが出来ればとりあえずいいんじゃないかな。

そんな日々を積み重ねてくれ。

朗報を心待ちにしている。

それでは。

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