見出し画像

第5話 イジメの話

転校後、小学3年生からおそらくテストを受けたことがない。
プールを含めたすべての体育を欠席したし、運動会の記憶もない。
文化祭などの出しものも参加したのか分からない、記憶に残っていないのだ。
記憶に残っていないというのは、未経験とほとんど同義である。
小学生として当然の思い出が何一つ欠けているのは、にもかくにも他の記憶が強烈だからに違いない。
そんな記憶の中でも比較的ライトなのが、イジメの記憶である。

イジメられっ子として生きた小学校生活

どこかで聞いた次の言葉は、真実の一つだと私は思う。

「–––イジメられる側にも原因がある–––」

イジメっ子が悪い、これは当然だと思う。
しかし残酷な話だが、不細工だったり同性に好かれない可愛さだったり、どんよりと暗かったり煩くて空気を読めなかったり、悪臭を放つほど不衛生だったり妬ましいほど新しいものまみれだったり、理由は必ずあるものだ。
私の場合、転校初日にイジメられっ子と組まされた事と、私自身がバカだった事だ。
大人になってよく出会う忖度精神の育まれた方達であれば、イジメっ子あるいは傍観者いずれかに属すことが可能であっただろう。
しかし私のような人間は、自分がどうしてそんな目に遭わないといけないのかという理不尽さを押し殺すことができない。
ましてや小学3年生の私に「自分は自分」などといった高尚な強さは無かった
更に言えば、気が付いた時には大勢の敵に包囲されていたほど鈍感で、且つそいつらに立ち向かっていける様な勇気は持ち合わせていなかったのだ。
それはつまり、イジメられっ子のままでいる道を私自身が不可抗力にも選んだ、という真実だ。
この”イジメられっ子”という呪いのような刻印をどうにかしなければならないと足掻くまで、私は何年もかかった。

ここから先は

2,290字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?